携帯電話と共に人生を歩み出したのは、中学1年生の時。それからしばらくしてスマホを持つようになり、もう随分長い間一緒にいる。
そばにあるのが当たり前。連絡手段でもあるわけで、家に忘れでもしたら、そわそわしてしまう。かといって、家で数時間触らないことだってあったし、無いならないで、それなりに過ごせたかもしれない。

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2023年の夏、子どもを授かった。翌年の春頃の出産に向けて、先輩ママ達から聞いたこと。みんな、口を揃えて「マジで自分の時間なんてない」と言う。ごもっともだ。私がいなければ死んでしまうような、か弱く脆い生き物を育てるのだ。

これまで自分軸で生きてきた私。24時間を好きに、自由に使ってきた。ふと、(これはスマホを触っている時間なんて、なくなるな)と思った。推しの情報を追っかけたことも、何もやる気が起きなくてSNSのスクロールで時間を潰したことも、寝る間を惜しんで動画を見ることも、子どもが生まれたら、できなくなってしまうのだ。じゃあ、メモはどうしよう。私は何でもメモを取ってしまうメモ魔で、レシピや買うものリストだけでなく、心に残った言葉や日記や、ほんの些細なことまで、実に様々なことをスマホに記録する習慣があった。これも、何か別の方法を考えないといけない。産後に向けて、ポケットに収まるミニサイズのノートを用意した。これなら、肌身離さず持てて、隙を見て書き込めるだろう。

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さて、無事に出産し、産まれたことを友人や職場に報告しようという時、我が子の写真も送りたくて、カメラロールを覗く。生後1日目にして、何度もスクロールしなければならないほど、写真や動画がある。そうこうしているうちに、オムツ替えの時間。何時に替えたかを記録しておかなくては。ペンがない。ええい、スマホに書き込んでおこう。授乳の際にはタイマーで時間を測ろう。この時期の赤ちゃん、どれくらい飲むのだろう、調べなきゃ。いや、待て。今日は子どもと過ごす第一日目。今日のこの気持ちを、忘れないうちに文字に残さなきゃ。

子どもが生まれたら、写真を撮るのは周りの人ばかりで、当の母親はお世話に忙しいと思っていた。だが、夫は仕事へ行き、私が誰よりも我が子と関わっている中、私にしか見せない顔もある。そんなの、スマホに収めたいに決まっているではないか。産後は、メンタルが不安定で、1日の中でもジェットコースターのような乱高下を繰り返していた。そんな時、授乳タイムを計りながら、自分の心の内をメモアプリに吐き出していく。スマホなら、予測変換機能もあるし、きれいにまとめられる。子どもの様々な記録は、オリジナルのノートに書き込むより、専用のアプリに入力していった方が、データの抽出もしてくれて大変便利だ。

いつしか、私にとってスマホは、脳みそに進化していた。子どもが表情を変える度、鮮明な情景が脳裏に焼きつくように、一枚、また一枚とスマホの中に写真が増えていく。できるようになったことが記録され、話せるようになったことばが録音されていく。そして、私が考える度、思い悩む度、脳に皺が刻まれるように、スマホに文字が綴られる。ここには、私の脳の代わりをするかのように、愛する我が子のかけがえのない思い出が、母である私の感情が、データとしてびっしり書き込まれているのだ。連絡手段としてなら、スマホでなくてもいい。いくらでも替えが利く存在だ。だが、血と汗と涙の結晶が入った私のこのスマホは、どんなものにも替え難い。

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思っていた以上に、育児は多忙だ。しかし、妊娠前と比べ、利用目的は異なれど、想像以上にスマホが手離せなくなっている。今後も、丸一日どころか、いついかなる時も手放すことはできないだろう。失くしてしまったら、記憶喪失も同然だから。