コミュニケーションが上手くなくても、私には言葉を紡ぐという武器がある

昔の私を振り返ると、すごく純真無垢で、素直で、とにかく真っ直ぐだったと思う。要領も良くて、だから、中学生の時にいじめられて、不登校になった。
それまで優等生だったから、学校にいかずに昼間に外に出かけることも世間の目を気にしてできず、引きこもってネットで動画を見たり、良くわからない哲学書を買って全然読めなくて失敗したり、とにかくいっぱい本を読んで現実逃避したり、眠れなくて日記を書いたりした。とにかく色々した。漫画家になりたいと思って、原稿を買ってみたり。結局未完成だけど。
フリースクールに行くとき、カウンセリングに行くとき、自分は他の人と違う、これからの人生はどうなるんだろう、不安で不安で仕方がなかった。
高校は中学と違って、不登校では単位がもらえないから、1年の4月に自主退学して、通信制の高校に行った。みんなより遅い時間に、みんなが休みか部活かをしている土曜日曜に、大学みたいに授業を受けた。
幸いなことに、無事に三年で卒業できて、大学も受かることが出来た。
最近では、不登校の情報がネットにたくさん出てきていたり、通信制の学校も増えている。
私は大学に入って、いわゆる大学デビューというものをしたくて、けれどそれは自分を隠すことで、結局深い友人が作れていない。
友だちと会う約束も、しんどい。
どこの高校出身か聞かれたとき、ドキッとした。
もしカミングアウトして、引かれたらどうしよう。
見下されたらどうしよう。
不安で不安で、ソワソワすることもあった。
もともと、全日の学校に行っていたときですら、コミュニケーションをするのが得意な方ではなかったから、友達を作るのは苦手だ。
ついカッコつけてしまう。
今でも、すべてを打ち明けられる友達はいない。
けれど、最近、色んなところに自分の文章や詩やエッセイや二次創作など、ネットという世界を介して、自己表現できるようになって、これがいつか現実でもできるようになったら良いなと思う。出来なくても別にいい。嫌われたり、またいじめられても、私には言葉を紡ぐという武器がある。
特に最近ハマっているのは、詩を書くことだ。眠れなかった中高時代、書いていた日記を読み返すと、詩的で、自分は詩人なのではと気づいた。私は気が弱いけれど、繊細だけど、すぐ病むけれど、それも全部詩になる。
詩で、認められたとき、今までの苦労も、無駄じゃなかったと思った。詩は、不健康なほど面白いからだ。
もしいじめられていなかったら、気が強かったら、頭がよかったら、私には違う人生があっただろう。SNSで見るような、キラキラした生活。嫉妬してしまうような人生。温室育ちのお嬢様。けれど、今の自分が好きでも嫌いでもない。人生なんて、自分の主観なんて、そんなものだ。SNSなんて、所詮他人。まだ自分に満足できていないし、一生満足も出来ないだろうけれど、それでこそ、自分磨きというものなのではないか。
コンプレックスを抱えて、自分のことを受け入れられず、それでも命の灯火を燃やし続けることが、私達人間の使命なのだ。
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