たぶん、最初に自分の顔に違和感を抱いたのは中学生のとき。友達と撮った写真を見て、「あれ、私だけなんかバランス悪いかも?」って思ったのが始まりだった。

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原因はもうすでに知っていた。
片方だけ、まぶたが一重だったからだ。

鏡を見るたびに、そこがどうしても気になってた。右はくっきりした二重、でも左はすっきりした一重。左右でまぶたの形が違うだけなのに、それだけで自分の顔がちょっと“残念”に見える気がしてた。

高校に入ってから、初めて「アイプチ」を使ってみた。ちょっと練習は必要だったけど、うまくいった日は両目がぱっちり二重になって、顔全体が明るく見えた。そんなときに限って「今日、雰囲気違うね!かわいい!」って言われたりして、内心すごく嬉しかった。

けど、同時に思った。

「じゃあ、素の私は可愛くないってこと?」

この頃から、自分の“片方一重”が本格的なコンプレックスになった。前よりも気になるようになったし、アイプチしない日は気分も落ちて、誰にも会いたくないって思うような日もあった。

本来、アイプチって「可愛くなりたい」からやるもののはずなのに、いつの間にか「普通に見られるため」にやってるような感覚に変わっていった。それに気づいたとき、ちょっとだけ、しんどくなった。

自分の顔に対して「なんでこうなんだろう」って思い続けるのは、結構しんどい。整形しようかなって真剣に考えた時期もあった。でも、そこまでの勇気もなくて、結局今も何もしてない。

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そんな私の考え方が少し変わり始めたのは、20代も後半に差し掛かった頃。ある日、仲の良い友達と飲みながら、自分のコンプレックスの話になって、私が「片方だけ一重なのがずっとイヤなんだよね」って言ったら、彼女が笑いながらこう言った。

「えー?そこが可愛いところだよ。印象に残る顔って感じで好きだけどな、私は」

びっくりした。だって今まで、そんなふうに言われたことがなかったから。でも、その一言がすごく嬉しくて、それからちょっとずつ「自分の顔=悪いもの」っていう考え方が緩んできた。

それに気づいたのは、自分自身が誰かを見るときの視点が変わったからかもしれない。例えば、すごく美人な子でも「私、鼻がコンプレックスなんだよね」って言ってたりするし、逆に、私が「いいなぁ」と思ってた友達も、自分のどこかを気にしてたりする。

「完璧な人」なんて、たぶんいないんだなって思った。みんな、自分だけが知ってる“気にしてる部分”を抱えてて、でもちゃんと笑って生きてる。

私も、「この顔だからこそ」って思える瞬間を大事にしてみようと思った。アイプチして「可愛い」って言われて嬉しかったのも事実だけど、それは努力した結果だったし、コンプレックスがあったからこそ、メイクやスキンケアにも興味が持てて、今の自分があるんだなって思うようになった。

もちろん、今でも写真を撮るときとか、「あ〜今日は目の調子悪いな」とか思うこともある。でも、昔みたいに落ち込んだり、写真を消したくなるほどではなくなった。

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むしろ今は、「この顔が私だから」って、ある程度受け入れられるようになった気がする。
不思議だけど、自分のことを少しでも認めてあげるようになると、人のことも優しく見られるようになる。完璧じゃない自分を責めるんじゃなくて、頑張ってる自分をちょっとでも褒めてあげる。それだけで、心がふっと軽くなる気がする。

27歳になって、ようやくわかったことがある。
「コンプレックスって、自分を磨くチャンスだったんだ」って。
自分の弱さや足りなさを知ってるからこそ、工夫できるし、学べるし、優しくなれる。そんなふうに思えるようになってきた。

だから、昔の私に伝えたい。

「片方一重でも、あなたはちゃんと可愛いよ」

それを受け入れられるようになった今の私は、あの頃よりずっと強くて、柔らかい。