引っ込み思案で人見知りだった私には、数えるほどの友人しかいない。自分から大勢の輪に入ろうとは思わないし、一人の時間が好きなので特にこれ以上友達を求めることもなく、ずっとそうやって生きてきた。あの出来事が起きるまでは。

◎          ◎

私と母はバンドが好きで、フェスやライブによく二人で行っていた。母となら自由に動けるし、気を遣わずに好きなタイミングでご飯も食べられる。何より同じ景色や音楽を共有できる相手がそばにいるのは心強かった。気軽に誘えるのも有り難かった。

「冬にあるフェスも一緒に行こうね」と約束して、チケットも用意していた。けれど、その矢先に、母がママさんバレーで怪我をして、車椅子生活になってしまった。

医師からは「しばらくは激しい運動は控えるように」と告げられたという。母はチケットを私に差し出し、「本当にごめんね。私の分は友達でも誘って行ってきて」と言った。私は、母と一緒に行きたかった。誰かを誘う気にもなれず、母にも無理してほしくないので、このまま諦めようかなと思った。

けれど、私はどうしても見たいバンドがあった。一人の心細さと天秤にかけた末、私は一人で行くことにした。寂しさは覚悟の上で、「見たらすぐ帰ろう」と心に決めて会場へ向かった。トップバッターの出番を人混みの少し後ろの方で立って待っていると、横にいた女の子が突然声をかけてきた。

「ねえ、一人で来たん?」「うん、そうやけど…」「じゃあ一緒に見よう!」ショートカットで快活なその子は、人見知りという言葉を知らないような子だった。

◎          ◎

私は流されるまま一緒に盛り上がり、時には肩を組んで跳ねたり、頭を振ったりしていた。気づけば、その子の友達まで合流して、私はまるで前からそのグループにいたかのように自然に受け入れられていた。

誰も「初めまして」の私を拒まず、むしろ「あれ?初めましてやんな?名前教えて」と、笑顔で輪に引き入れてくれた。その空気が心地よかった。

不思議なもので、フェスで出会った友人とは日常生活で頻繁に会おうとはならない。基本はライブやフェスで「また会ったね」という関係にとどまる。それでも私は、その関係がとても素敵だと思った。無理に予定を合わせなくても、たまたま好きなバンドのタイミングが重なった時に「久しぶり!」と再会できる。その距離感が、大人になった今の私には丁度いい。

◎          ◎

学生時代のように、「毎日顔を合わせるから仲良くしないと」と思う必要はない。頑張って関係を続ける必要もない。ただ音楽を楽しみたい気持ちが、また彼らとの縁を繋いでくれる。

あの時、勇気を出して一人でフェスに行かなければ、こんな素敵な出会いを生み出さなかった。ほんの小さな勇気が自分の世界を広げることを実感する。あの日、あの女の子が声をかけてくれた瞬間から、私にとって「友達」という言葉の意味が少し変わった。

大人になって出来た友人は、肩の力を抜いて付き合える存在だ。無理に求めなくても、ふとした瞬間に差し出された「一緒に見よう」という一言で生まれるものなのだと思う。