コンプレックスを通して気づいたこと。斜視は私に寄り添う力をくれた

小学校中学年のころ、目が悪くなり、斜視の症状も見られると診断された。その後、病院に何度か通ったが、手術するほどではなく、眼鏡で調整していくことになった。私の場合、斜視の自覚症状がなく、自分ではわからなかった。だからこそ、周りの人の言葉で斜視になっていることに気づかされることが多かった。
小学校高学年になると、友達から「どこを向いているの?」「目が変だよ」と何度も言われるようになった。その言葉を聞くたびに「自分で望んだわけではないのに」と胸の奥が締めつけられた。中学生になってもその言葉は続き、誰かと目を合わせるのが怖くなった。親に心配をかけたくなくて打ち明けられず、家に帰っては鏡をのぞき込み、「大丈夫」と自分に言い聞かせる日々を送っていた。
高校生になると、環境が変わり、今までの人間関係がリセットされた。そこで、自信のない自分を変えようと、髪をまっすぐに整えたり、眼鏡からコンタクトに替えたりした。鏡に映る自分が少しずつ変わっていくのを感じた。
友達からも「垢抜けたね」「かわいいね」と言ってもらえるようになった。人からの肯定の言葉が、少しずつ私に自信を取り戻させてくれ、友達とも目を合わせて話せるようになっていった。ちょうどこの頃、みんな大人になってきているからか、斜視のことを直接指摘する友人もいなかった。そのことも、私を安心させ、楽しく学校生活を送れるようになっていた。
社会人になると、夫と出会った。出会ってすぐに、私の斜視のことを話した。その時の夫の返事は、「へぇ、そうなんだ」とあっさりしていて、私だけが気にしていたように感じた。夫の自然体な態度に、心が軽くなった。そして、付き合い始めて、何ヶ月か経った頃、夫と一緒にペンギンのぬいぐるみを買った。家でそのぬいぐるみをよく見ると斜視のように見える顔をしていた。そのことに気づいた夫は「この子も斜視のように見えるけど、かわいいし、大切な家族になってるよ。斜視なんて関係ないよ」と言った。
その一言で、心の奥にかかっていた霧がすっと晴れ、斜視を気にしなくてもいいんだと思えるようになった。結婚してから3年経った今、夫とそのぬいぐるみと一緒に見た目のことは気にせず、おしゃれを楽しみながら前向きに過ごすことができている。
今の私は、斜視を隠すのではなく、はっきりと「これが私の目なんだ」と言える。言葉には、人を傷つける力もあれば、救う力もある。高校時代や社会人になってから、人と接する中で相手に寄り添うことの大切さを何度も実感した。だから、これから生まれてくる我が子には伝えたい。「相手の立場に立ち、思いやりのある言葉を選べる人になってほしい」と。
かつてコンプレックスだった斜視は、私に言葉の重みを教えてくれた。この経験があるからこそ、相手を思いやり、痛みに寄り添える自分になれた。そして、小学生の頃からの夢であった、人との関係を大切にする職業にも就くことができた。今では、斜視を抱えてきたからこそ得られた「相手に寄り添う力」が、私の強みになっている。
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