彼女と出会ったとき、私は既に社会人になっていた。だからそのとき彼女はまだ高校生だったけれど、私からすれば大人になってからの友達と言えるだろう。彼女と話すと私は自分が高校生に戻ったような気持ちでいたが、それでもやっぱり彼女のほうが若く、時に幼いとも思えるその言動は私にとって新鮮だった。

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元々は妹の友達だった。親友と言ってもいいくらいだ。妹は家で彼女の話ばかりしていた。彼女は妹と弟がいるのに全然しっかりしていなくて、家事が全くできなかったり、びっくりするくらい音痴だったり、聞いているだけで面白い子だった。よく話を聞いていたから、会ったことないのにどこか身近に感じていた。

私と彼女が初めて会ったのは、妹と彼女が高校二年生の頃だった。二人を学校から別の場所に車で送ることになり、そこで初めて顔を合わせた。初対面と思えないほどすぐに打ち解けた。妹が私の話をしていたようで、彼女は妹と同じく私のことを下の名前で呼び捨てにした。妹がいたことも大きいだろうが、車内ではずっと笑いが絶えなかった。でもそのときはまだ、あくまで「妹の友達」だった。

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だが会うたびに打ち解けていって、文化祭に行ったときは二人でツーショットを撮った。妹が間にいなくても、私たちの関係は成り立っていた。

彼女が高校を卒業してからついに、二人で会うことになった。共通の見たい映画があったからだ。残念ながら会う直前に二人ともインフルエンザに罹ってしまい、映画を見ることは叶わなかったが、またすぐに会うチャンスは巡ってきた。私も彼女も、秋葉原のメイドカフェにハマっていた。別の店だったが、お互いの好きなメイドさんに会いに行こうということになった。

二人で外出するのは初めてだったのに、ごく自然に、会話は止まらなかった。共通の知り合いである妹の話はもちろん、お互いの推しの話、仕事の話、恋愛の話と、いろいろなことを話した。

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彼女はやたらと「ルッキズム」という言葉を連呼した。自分の顔が嫌いで仕方ない。ルッキズムに囚われていると自覚しているけれど、気になって仕方がないと言う。彼女は贔屓目なしに可愛いと言われる部類の顔立ちをしている。それを伝えても、あまり納得していないようだった。高校を卒業したばかりの彼女は、一番見た目が気になる時期だろう。「可愛い顔はこうだ」というルッキズムがネット上に流れ続け、それを毎日のように目にして悩む世代に生まれた彼女は、大変だろうと思った。もう少し歳を取ってしまえば、ありのままの自分を愛せるようになって楽になるのに。私がいくらそう思っても、本人が気になるものは気になるという、その気持ちもなんだかわかる。

そんな話を普通にしていると、もはや私の中にも、「妹の友達」という感覚はなかった。歳下だからといって「後輩」という感じでもなかった。彼女はたしかに若くて、考え方や生活がまだまだ幼いと思うこともあった。私が歳上として意見を言うことももちろんあった。でもそれは同い年の友達に話すのと何ら変わらなかった。これが初めての、歳下の友達なのだと確信した。

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残念ながら彼女とは、あの日以来会っていない。後日少し連絡し合っただけで、今はその会話も途切れてしまった。それは妹に気を遣った結果だ。元々妹の友達だったので、妹が私と彼女の二人で仲が良いことに嫉妬してしまい、良く思わなかった。

でも次に彼女に会うときも、彼女は変わらず私のことを呼び捨てにして、にこやかに歩み寄ってくるだろう。私たちは友達だから。