私が幼い時から持っていたコンプレックス、それは、『人前に立つことが恥ずかしく、すぐに緊張して声が出なくなるところ』であった。

所謂、人見知りの内気な女の子で通っていた。周囲からは、いつもおとなしいわね、と言われ、そんな自分が当たり前になっていた。私のおとなしいエピソードは数えきれないほどある。

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振り返れば、小学生の時、日直当番が大の苦手だった。当時、授業の始まりと終わりに「気を付け、礼」と号令をかける習慣があったが、その声を出す瞬間、キューっとのどが詰まる。声が出ない、みんなが言うことを聞いてくれないことにとても困った。さらに、新学期お決まりの自己紹介も苦手だった。自分のアピールするところなんてない!早く終わらせてさっさと座りたい!と逃げるように名前と血液型を言うくらいが私の精一杯だった。

クラス対抗のリレー大会においては、足が人一倍遅かった私は、一人周囲から注目を浴びているような気分になり、その場から逃げだしたい気分でいっぱいになった。運動会なんて雨で無くなればいいのにと子供らしくないお願いをしていた。

その後も、私が人目を気にする意見が言えない学生に変わりはなかった。高校・大学ではディベートの授業で意見を一つも出すことができず、そんな自分に嫌気が差した。周囲は次々に自由な発想で言葉が生まれるのに、私は何も発言できない、何も考えていない人みたいだと思えた。何気ない雑談も意識すると言葉が出なくなってしまう。例えるならば、なかなか大縄跳びに入れない子供のよう、話を切り出すタイミングがわからずにいた。

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社会人になっても私の恥ずかしがり屋は変わらなかった。しかし、大人になってからはただの「人見知りさん」では済まされないのだった。仕事の電話、係内打ち合わせ、人前に立つ機会も増えている。初めのうちは、電話で声が震え、誰かに話の内容を聞かれているような気がしてならなかったし、打ち合わせの進行では、あがってしまい考えていた内容が一気に吹っ飛んだ。しかし、いつまでもそう言ってはいられない。

最近になって、人はあまり自分のことを気にしていないことがわかってきた。ようやく、自身の思いを発信するよう心掛けるようになった。それと同時に、なぜ、今まで自分の気持ちを発信できなかったか、その理由もわかってきた。

いつも私は自分に自信がなかった。さらには、その場が安心できる環境かどうかということも深く関係していた。家族や仲良しの友人との間では言葉がスラスラ出てくる。つまりは、相手が自分の性格を知っている、私という人物を受け止めてくれているという安心感が気持ちをオープンにしてくれるのだと思った。

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これから先、まだまだ私には、緊張の瞬間が訪れることだろう。その度、冷や汗をかいてどうしようどうしようと、心の中の人見知り少女との戦いがあるだろう。その時に、飾らぬ姿で自分の気持ちをさらけ出せるよう、日々、思いを外へ吐き出すことを意識しながら過ごそうと思う。40年以上引っ込み思案で過ごした私。直ぐには自分を変えることはできないが、そんな自分にエールを送りたい。

「今よ、あなたの声を届けるときよ、頑張れ!」と。