私は4年生の看護系大学を卒業してから、総合病院で看護師として就職した。その年の看護師の入職者は23人だった。一部署に、大体3人から4人の看護師が配置された。

私は、高校と大学が一緒だった同学年の同期と、少し歳上の同期2人と一緒の配属だった。歳上の同期は1人が5歳上、もう1人は4歳上だった。歳上の同期は元々准看護師として働いていた経験があったので、私は新卒の同学年の同期と一緒にいることが多かった。

高校から知っていた友人だったが、私は少し苦手だった。違う子が一緒の配属だったらなんて思っていたこともあった。半年ほど経ち仕事に慣れてくると、歳上の同期とも一緒に仕事をする機会が増えてきた。

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4歳上の同期とは、少しずつ話す機会がふえていき、ご飯を食べに行ったり仕事終わりに雑談したりするようになった。(その同期のことはちえちゃんと呼んでいたので、以下ちえちゃんと書かせてもらう)

ちえちゃんは、社会経験もあり、とても明るい人柄で先輩からもとても好かれていた。私は、そんなちえちゃんと一緒に仕事をすることが楽しいと感じるようになっていた。

配属3年目の冬に、5歳上の同期が他部署へ異動になった。同じ部署の同期は3人へと減った。そして、4年目の夏に同学年の同期が産休へ入り、あっという間に同期が2人に減ってしまった。4年目になり、私とちえちゃんも同じような時期に結婚した。段々と、子供についてお互い考えるようになっていた。

「早く子供欲しいよね。産休に早く入りたいよね」などといつも話していた。その時はいつかお互い同じような時期に妊娠するんだろうなと漠然と考えていた。看護師は夜勤や準夜勤もあり、交代勤務なため不妊治療へ通っている先輩も多くいた。

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そのうち、私とちえちゃんもなかなか妊娠することができずに、不妊治療へ通い始めた。私は程なくして、妊娠することができた。だが、妊娠初期に流産してしまった。ちえちゃんには1番に報告した。仕事中にも関わらず大泣きしながら私に、「辛かったね」と一言言葉をかけてくれた。

そのたった一言を聞いて、泣いてるちえちゃんを見て私も泣いてしまった。同時に、私のためにこんなに涙を流してくれる人がいることに驚きと嬉しさが込み上げてきた。

5年目、6年目になると新人指導やリーダーなどをすることが多くなり、先輩と後輩の板挟みで本当に大変だった。そんな時は必ずちえちゃんと愚痴を言いあってストレスを発散していた。お互いに結婚してからマイホームを購入し、職場からかなり遠いところから通っていた。「仕事辞めたいね。絶対いつか辞めるよね」などといつも話していた。ちえちゃんは私の心の支えだった。

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6年目になり、私は2回目の妊娠をした。2回目の時は、これがもしだめだったら夜勤が無い自宅近くの職場に転職しようと決めていた。そして、また妊娠初期で流産してしまった。退職に少しだけ迷いと寂しさがあったが、自分の中ではもう心は決めていた。

その経緯をちえちゃんに全部話した。「私も自分がその状況だったら絶対辞めてる。でも寂しい」と話しながら、また涙を流してくれた。

6年目の6月に私は退職した。最終日、ちえちゃんは泣きながら、「色々愚痴を言い合う大切な同期が居なくなるのは本当に寂しくてつらい」と言ってくれた。

この6年間、ちえちゃんには本当に助けられてばかりだった。大人になってから、これほど私のために涙を流してくれる友人に出会えたことは一生の宝物になった。ちえちゃんが居なければ私はもっと早く仕事を辞めていたかもしれない。職場は離れてしまったが、一生大切な友人として関わっていくことができたら幸せだと思う。