正反対だけど共感できる。彼女は最高の同期であり、友達だ

大人になってから出来た友達のなかで、最も多く顔を合わせているのは会社の同期だ。
それって友達なの? と思われた方もいるかもしれない。確かに一般的には怪しいところだろうし、もしかしたら向こうは違った捉え方をしているかもしれない。
それでも、私は友達だという認識を持っている。なにか大きな理由があるわけではないが、私のなかでは彼女は同僚枠というよりは友達枠に収まっているのだ。
ちなみに多く顔を合わせているのは、単純に入社してからずっと彼女と同じ社屋で働いているからだ。とはいえ、退社後や休みの日に飲みに行ったり、互いの家に行ったりしたこともある。
彼女は素敵な人だ。私たちは新卒で入社したのだが、その年の採用は2人だけだった。就活サイトには前年まで4、5人ずつ採っていたと書いてあったため、面食らった。
そのことを知った当時は、合わない相手だったらどうしよう、と思った。そもそも私は人付き合いが得意ではない。打ち解けるのにも時間がかかるし、仲良くなれるタイプの範囲も狭い。
しかし、それは杞憂に終わった。
まず、同期はかなり明るく、幅広くコミュニケーションをとりたいと考えるタイプだった。具体的には社会人サークルに所属したり、町内会のお年寄りしかいない集まりに参加したりしている。仕事や恋愛のために人脈を広げたいとかではなく、単純に広い年代や属性の人との関わりを望んでいるようなのだ。なかなかいないタイプだと思う。
一方で、時に過剰じゃないかと思うほどの思慮深さも持ち合わせていた。それは彼女にとって都合が悪いのではないかと感じる場面もあるが、そればかりでもない。彼女は文章を書くのが好きで、投稿したページのリンクをたまにインスタグラムで共有している。文面には、彼女の洞察に富んだ性質がにじんでいる。読書や作文が好きな私にとってはもちろん、そうじゃない人たちにも、きっと彼女のこういう深みは魅力的に映っていることだろう。
要するに、彼女は私と正反対の性質を持ちながらも、私が共感出来る部分を持ち合わせていた。こんなにありがたい同期、なかなかいないと思う。私はかなり環境に恵まれている。
今後私たちのどちらか、あるいは両方が異動や転職をすることは十分にあり得るだろう。遠く離れた地に転居する可能性だってある。そうなったとき、関係を続けられるかは分からない。ライフステージが変わって遊びに割ける時間が減る、なんてこともあるかもしれないし。
いずれそうなるとしても、今の彼女が友人であるという事実は私のなかでは変わらない。楽しく、大切に、出来るだけ長くこの縁を続けていけたら、と思う。
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