基本的に自分ことはあまり好きではなかった。幼稚園時代から、とにかく顔が嫌いだった。笑うとアンパンマンのようにムキっと盛り上がる頬。「長いと邪魔だから」とずっとおかっぱショートカット一択で、せめて一重瞼であれば色白であれよ、と思うのに色黒だった。思春期が始まると、ムクムクと太りはじめたので、ただでさえ外見にコンプレックスが多かったのに、またもやマイナス要素が増えた。見た目はコンプレックスまみれで、さらに頭も悪かった。ついでに性格もあんまり良くなかった。幼い頃の私は、自慢できることが何もなかった。

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四人兄弟全員が、幼稚園から高校まで同じ学校に通っており、姉と兄はそこそこ成績も優秀で性格も良かったらしく、ずっと比較され「あなたのお姉さんはもっと…」とか、「お兄さんがそんなことをしていたのを見たことがない」なんて言葉をしょっちゅう聞かされていた。私もせめて反省して改められれば、きっと賞賛の対象となったものを、なぜか反抗を続けた。宿題はしない、テスト勉強はしない、追試には出ない。口が悪い、性格がきつい、校則違反をする。等々の評価を受け、面談から疲れた表情を浮かべて帰ってくる母が大嫌いだったし、学校や他の保護者から時々かかってきた電話のせいで、電話恐怖症だった。

今から考えると、本当にどうしようもない子どもだった。だけれども、幸いなことに、私には芸術関連の才能があった。小学2年生の頃に初めて絵画コンクールで特別賞を受賞して、東京まで授賞式に向かった。その後も作品を提出すれば、必ず大なり小なりの賞をもらえた。学内での展覧会も兄弟の中で最多の3回選出。音楽では、小学4年生からクラリネットを始め、半年も続けるとみるみる上達し、顧問の先生に激しめに贔屓されるようになった。中学生からオーボエに転向したが、こちらも半年も続ければOGの先輩に褒められて、周りの生徒から一目置かれるようになった。おかげで多感な時期は、音楽に夢中になった。音楽を続けるために勉強をしなさい、と父に厳しく言われたことで、勉強もそこそこできるようになった。

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思春期に、自分のコンプレックスに夢中になるのではなく、自分が夢中になれるものを見つけたことは、とても賢い選択だった。しかしながらもちろん、不意に鏡に映った自分があまりの不細工で驚いたり、自己肯定感の低さに苦しんだ記憶も多いけれど、それでも私は「やりたいことが見つかっていてしっかりしている」という評価を常に受けていた。おかげで、そこから留学までの夢は、ほぼほぼ完遂できた。

ココ・シャネルの「20歳の顔は自然の贈り物。30歳の顔はあなたの生活の反映」という言葉がある。これは、20歳までは親からの遺伝で造られるもので、それ以降は自分の生き方や経験、精神性が顔にでる、ということだそう。

31歳になった今の私は、過去の私が憧れるような女性になれているだろうか、と考える。そして自分が想像していた以上に、素敵な女性になれている、と答えられる。自慢できることが何もなかった女の子は、いつの間にか妬み嫉みを受ける女の子になっていたからだ。

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出来るだけ悔いのないように生きてきた。挑戦したし、努力も、勇気の要る決断だって何度もした。そのおかげなのか28歳のとき、映画館のトイレで不意に自分の顔を見た時、あまりにも素敵で驚いた。私はちゃんと生きてきたんだな。そして嫉妬されるくらい素敵に映ってるんだろうな、と思った。謂れのない悪口や、理不尽な足の引っ張りもたくさん受けた。私は私の過去を全て知っているけれど、他者から見るとただのラッキーに見えてしまうようで、どれだけ弁解しても、全て悪いように解釈されたり、何をしても自慢しているように取られた。もうさすがに呆れてしまった。言いたいやつには言わせておけばいい。もしかすると私嫉妬する人は、自身のコンプレックスとちゃんと向き合えなかった人なのかもしれない。

この先は、今の私が憧れるような素敵なおばあさんになるのが夢だ。だからこれまでのように、夢中になれるものを追いかけ、コンプレックとは程々に付き合い、感謝の気持ちを忘れないでちゃんと生きていきたい。