「病院に行ったら適応障害と診断されて、1ヶ月休職することになった」
週初めの月曜夜、同期から来た突然の連絡だった。朝布団からなかなか出られない、休日も仕事のことばかり考えて気分が落ち込む…思い返せば予兆の発言はいくつもあった。これらの発言を「笑って話してるから大丈夫だろう」「ただの気にしすぎ」と私は自分の価値観でしか捉えられてなかった。そんな自分に心底呆れてしまったし、どうすればよかったのかと考えずにはいられなくなった。
同期の休職をきっかけに考えたのは「言葉の在り方」
同期は上司との関係に悩んでいた。同期の上司はその時々の機嫌が態度に出るし、話し方もキツめだった。責め立てるように「これする必要ある?」と言ったりするのだ。同期は言われた言葉をしっかり受け止めるので、自分に非があると考えがちだった。これが散り積もって、心に大きなヒビが入ってしまったのだと思う。言葉が刃になってしまったのだ。
言葉って扱いがとても難しいと思う。同じニュアンスの言葉でも、伝え方の違いでポジティブにもネガティブにも変容する。また言われた言葉に対して、擦りもせず無傷な人もいれば、心がズタズタに砕けて割れてしまう人もいる。自分の考えや意見をしっかり伝えるのは大切だ。しかし、言葉を投げかけた先にいる「相手」への配慮を疎かにしてはないだろうか?自分自身いつも出来ています!とは言い切れなかった。同期の休職が自分の言葉の在り方を見つめ直すきっかけとなった。
言葉は刃にも魔法にもなる。だからこそ芽生えた夢
同期の休職、SNSの誹謗中傷など言葉が刃となった事象が近年多くて悲しい気持ちになる。悲しい気持ちになるのは、言葉が持つ素敵な力を知っているからだ。何気ないつぶやきや歌詞に共感して孤独から救われたり、支えてくれる人の一言で背中を押されてアクションが起こせたりする。言葉は魔法にもなるのだ。
私は言葉が魔法になる可能性を信じたい。だからこそ、言われて嬉しい言葉をたくさん人に贈っていきたい。密かに芽生えた夢としては、言葉の魔法使いになりたい。もう少し具体的に言うと、私の言葉で相手の気持ちをプラスに動かせる仕事に携わりたい。言葉の刃に傷付いた同期をみて、その思いがふつふつと表出しだした。
そんなの綺麗事だと感じる人もいるかもしれない。それでも構わない。私の本心に変わりないから。だけど、このエッセイを読んで「私もそう思う!」って感じてくれる人がひとりでもいたら嬉しいな。