2021年丑年。証券取引の場では、丑年は「つまずき」の年であると言われているらしい。
「ウシは動きゆっくりだからかな」と思うのと同時に、「ネズミ年もなかなかつまずいていたけど」なんて思った。十二支の由来となる日本昔話において、もしネズミがつまずいていたのなら。そうしたら、ウシは自己の走りでベストタイムをたたき出していたのかな、なんて。
そんな風に想像したら、つまずいたネズミを越えたウシ年は、ほんの少しだけマシなものに思えてきた。
コロナ悪くない、ふと思った
2021年丑年。今年は去年よりマシな自分でいたいと思う。
就活、卒論、実習。なんの解決にもなっていないけど。
振り返ると2020年は激動の一言に尽きると思う。緊急事態宣言により、大学に通えなくなった。オンライン授業は、開始ギリギリまで寝れる、だらだらできちゃう。コロナ悪くない、寝返りを打ちながらふと思った。
5月、朝は8時起床。朝ご飯を食べて、授業前にちょっと勉強。授業が終わったら、資格の勉強。移動時間がないし、外出したくてもできないから勉強には好都合。コロナ悪くない、参考書をめくりながらふと思った。
8月、やっと夏休み。朝は10時起床。朝ご飯と昼ご飯はひとまとめ。バイト、予備校、インターンシップ。自粛生活が嘘のように忙しかった。この頃から自分に言い訳して友達と遊んだ。半年ぶりに友達と遊ぶのはたまらなく楽しかった。コロナ悪くない、談笑しケーキを食べながらふと思った。
辛くなるたびに「やらない」言い訳の素材を探した
10月、朝は授業開始ギリギリに起床。勉強はまちまち。
「授業間に合うの?」と祖母は心配そうに言った。
「ギリいける」
「勉強進んでるの?」と母は怪訝そうに言った。
「まあぼちぼち」
「遊びに行くの?」と父は驚いた様子で言った。
「ご飯だけだし」
そんな問答がルーチンワークのように行われた。この頃から自分のしなくちゃいけないことが分からなくなった。このままじゃダメになる。このままじゃ自分だけ取り残される。このままじゃ、このままじゃ、このままじゃ。
「コロナ 就職」検索。
そう決まって不安になると、コロナによるネガティブな情報で検索一覧が埋め尽くされる。そこでは、就職が一層希厳しくなる等の説明が多く述べられていた。それを見るたびに状況が悪いから仕方ない、と自分に言い聞かせた。そうやって私は、辛くなるたびに「やらない」言い訳の素材となるネガティブ要素を探した。コロナだから。こんな状況だから。コロナ悪くない、と思う。
全部コロナにぶつけている自分が、嫌だ
嫌だ、とふと思った。コロナ良くない。自分が怠ける理由を、ネガティブになる理由を、全部コロナにぶつけている自分が。就職が上手くいかなかったとして、その挫折をコロナで努力できなかったからと言い訳すること。自分で自分が許せない。
「授業間に合うの?」と祖母は心配そうに言った。
「あと1時間早く起きるよ」
「勉強進んでるの?」と母は怪訝そうに言った。
「進んでない、再開する」
「遊びに行くの?」と父は驚いた様子で言った。
「友達と相談してやめた。また状況が落ち着いたら」
ポジティブ上等、ネガティブ貧相。
コロナで経済状態が悪く就職が難しい状況、娯楽が減って気分転換が減る環境、そういったネガティブな要素が自分のやる気を蝕んでいく。でも、ネガティブに感染するのは今じゃない。ネガティブを見つけて悲観するより、そんな中にあるポジティブを見て調子良くした方が、毎日楽しいと思える。自分の人生のうち、ポジティブの割合を増やすほうが生きやすい。ネガティブはいらない。
2021年、ネガティブの感染予防をしよう。自分にプラスになることだけ見よう。つまずいたネズミを追い越すウシの気合も少し借りて。