大人でもない、子供でもない。
時間と共にこの先どうなるのかわからない、無限な将来がある。
そんな11歳の時に私が観た映画、実写版『ピーター・パン』(2003年製作)。

どうしてウェンディーは日常に戻ってしまったのか

初めて観たとき、私はなぜウェンディーがネバーランドから離れ、自分の生活に戻ったのか理解ができなかった。ずっとピーターと成長せずに楽しい時間を過ごせばいい、そう思った。

フック船長に殺されかけるピーターが"To die would be an awfully big adventure"と言うシーンがある。つまり”死ぬことは酷く大きな冒険である”という意味だ。

死ぬことは怖い、死んだあとどうなるのだろうか、痛いのか、私は何を思うのか、11歳の私には漠然とした恐怖があった。死という未知の世界は暗くて、怖かった。

映画の最後のシーンで、ウェンディーがネバーランドから離れ自分の生活に戻った。そしてそれを観たピーターはカーテンからウェンディーを見ながら“To live would be an awfully big adventure”と呟く。

"生きることは酷く大きな冒険である"。

その言葉が11歳の私に大きく残った。自分の将来が、自分がこれから歩む人生が冒険であるということ。人間誰でも同じ時間があり、ネバーランドのように時間が止まることはない。そして冒険というのは苦労も困難もあって、いいことも悪いこともある。一度きりの人生しかない、11歳ながらに私はそれを感じた。

あ、本当に一度きりなんだ。
本当に一発勝負の冒険なんだ。

これから大人になる道を進み続けるしか選択肢がない中で、この冒険を歩む勇気が私には必要なんだ。そう思った。

当時クラスの人間関係に悩み、身体の成長が早かったこともあって子供と大人の狭間にいる気持ちだった私は、人生という漠然と大きくて先が長くて、何が起きるかわからないものに対して恐れと希望の両方が混ざり合ってなんとも言えない気持ちになった。

平凡な大人になるのも冒険なんだ。今ならわかる、ウェンディーの決断

大人になった今、私は今でも"To live would be an awfully big adventure"の言葉を忘れていない。

平凡な大人になったかもしれない、でもそれは私にとっては冒険で、ワクワクすることも刺激もある、苦しいこともいくつかあったけれども、それを通して乗り越えていく、人生を冒険と例えることで、その物語には必ず解決策も、糸口もある。漠然と先は見えなくても、私だけの物語にはハッピーエンドがあるのではないか、という気持ちになれる。

時間が経つにつれて学ぶことも成長できることもあって、よかった、11歳のままではなくて、色々な経験ができて。

今ならネバーランドでずっと子供にいるのではなく、限りある人生を歩みたいというウェンディーの気持ちがわかる気がする。