私たち母娘はとても仲が良い。
私が社会に出て一人暮らしを始めた後も、片道90分弱の距離を毎週のように会いにきてくれて、時々ランチをしたり、買い物に出かけたり、お泊まり会をすることもよくある。
私が遅くまで遊んだ日には迎えにきてくれるし、どこか行きたいところがあれば愛車でどこまでも連れて行ってくれる。
「仲良し親子」と言えば聞こえはいいが、周りから見たら「過保護」で「いつまで経っても子離れ出来ない親と、親離れ出来ない娘」に見えているだろう。

「家族」と呼べる存在は母しかいなかった

中学に入学してしばらく経ったある日、私に持病が見つかった。医師からつけられた診断は『甲状腺機能亢進症』。長い事体調不良には悩まされていたものの、想像もしていなかった病名で発見までには少し時間がかかった。薬の副作用で入院をしたこともあった。直接は言われたことはないが、母はきっと「学校に行きたくなくて体調を崩しているんだ」と思っていただろうし、そのことについて「もっと早く気付いてあげればよかった」と自責していると思う。

高校に上がる直前、両親が離婚した。昔からあまり家庭をかえりみない父親だったし、母から離婚について切り出された時も「別に良いと思う」と即答した。とは言え、やはり突然置かれた片親の子という立場に、思春期真っ只中の私はしばらく悩んだ。私には歳の離れた兄もいるが、その頃には大学へ入学し、家を出て一人暮らしをしていた。私は毎日母の作った朝ごはんを食べて、母の作ったお弁当を持って高校へ通い、家に帰ると母と二人で晩ご飯を食べる。休日は母と二人でどこか買い物に行く。「家族」と呼べる存在は母しかいなかった。

こうして出来上がったのが、いつまでも子供のことが心配で仕方ない過保護な母親と、それにいつまでも甘えている娘。
側から見たら依存し合ってるようにも見えるという自覚もある。

母はきっと「もっと早く気付いてあげればよかった」と自責している

実際に母は、祖父母や仲の良い友人から「少しは子離れしたらどうか」と言われたらしい。それを聞いた時に私はとても申し訳なく思った。大好きな母が私のせいでおかしな親だと言われるなんて。もう母に甘える生活はやめよう、そう思った。

だけどそんな話をしている時に母は私にこう言った。
「親がどんなに嫌がっても子供はいつか親離れをしてしまうんだから、お母さんからは子離れする気なんてないよ」
このひとことが私の考えを変えた。やっぱり母は偉大だ。周りの目なんて一切気にせず、いくつになっても私に無償の愛を注いでくれる。

母がその気なら私もまだしばらく親離れというものをしなくてもいいかな

数年後、もし誰かと結婚することになって、子供を授かって、私自身の家庭をもつ未来がきたとしても。母とは決して距離を置くことはなく、母娘でありながら友達のような関係でいられることを目指そう。たまに、ちょっとだけ甘えることもあるだろうけど。
母がその気なら私もまだしばらく親離れというものをしなくてもいいかな。
また週末、母と映画に出かけよう。