最後に母と喧嘩をした思い出は、大学4年生の時である。それから数年経った今も、あの日の出来事を思い出すと、未だに同じ温度で心臓の奥の方がチクチクと痛む。

7月くらいだったかと思う。当時、就職活動が上手くいっていなかった私は、その4文字に生活を踊らされていた。それもその筈で、私は1年前からインターンシップにも積極的に参加し、説明会にも早くから足を運ぶことで自分を優秀だと思い込んでいたのである。今までの人生、こうして余裕を持って行動するだけで、幾分も楽に生きてこれたのだ。
これだけ保険を掛けていれば、すぐにでも就職先が見つかるだろうと信じて止まなかった私は、その願望を早々に崩された。

春になり、私より先に就活を終えた人たちは、揃って事前に準備をしていなかった人ばかりだった。たまたま周りが運良く早い段階で決まっただけ。それだけの事なのに、私の自己肯定感は音を成して崩れ、それきり立ち直ることはでき無かった。
私が費やした時間は何だったのか。焦れば焦るほど空回り、結果が出ないことに益々気持ちが落ち込んでいく。自分以外は就職先が決まっている輪の中で気を遣われる気まずさ。今思い出しても苦しいあの日々の中で、私は母に向かって気持ちをぶつけてしまったのである。

母の涙に、申し訳なさで私も泣いた。

母は一度も「早く仕事を見つけなさい」と言わなかった。「見つからなければ、それはそれで仕方が無い」と言ってくれていた。母は昔からそういう人間だった。無理しなくても良い。頑張らなくて良い。生きるのが楽になるように、いつも言葉を選んでくれていた。
それなのに、その優しさに甘えられないのが私のプライドで、母の言葉を耳に入れようともせず、就職先が見つからない私は自身に『ダメな奴』とレッテルを貼った。

波のように押し寄せてくる罪悪感にとうとう耐えきれなくなった私は、母に「今までの4年間は何だったんだろう」と呟いた。夕食が終わって母は台所で食器を洗っていた時だ。悔しさで既に涙が止まらなくなっていた私は、背を向けている母の顔色が変わったことも気付かず、「こんなことなら大学なんて行かなければ良かった」と続けた。
母は突然振り返って「どうしてそういうことを言うの!」と怒った。真剣に怒られたのが久々すぎて、驚きと罪悪感が同時に沸いたのを覚えている。「頑張って大学まで行かせたのに…」母は寂しそうに泣いていた。申し訳なさで、私も泣いた。暫く2人で泣いた後、自然と仲直りをした気がするけれど、謝った記憶がない。2人で泣いたのは、後にも先にもこの時だけである。

母の怒りは経済面や親としての苦労からきた怒りだけでは無かったと思う。私があまりにも自分を否定するので、ずっと悲しかったのだ。今ならそれも分かる。あの時の私は自分が全てだった。受験も部活動の大会も全てが努力次第で、大きな挫折を味わったのはあの時が初めてだったのだ。その人生に、どれだけ親の愛と努力が付随しているか等、あの頃の私には全く見えていなかった。
今、私の仕事は大学で学んだ知識がとても役に立っている。あの4年間を後悔した一瞬が信じられない程に、大学生活の思い出が大切で、有り難い時間だ。
私はあの日の母の涙を、未だに忘れられないでいる。そして2度と泣かせてはならないと、心に決めた出来事だった。