幼い頃の私は何にでもなれたのに…大人になった私は「私の印象」に縛られている

「ほんといつも楽しそうだよね!悩みなんてなさそう!」と友人によく言われる言葉である。確かに遊んでいる時は楽しい。おしゃべりも好きだ。だから、私は明るく元気な性格なのかもしれない。
でも、いつでも明るい私なわけではない。職場の人間関係に悩んだり、片思いしていた人に振られたり、そんな風にモヤモヤしたり、涙が出るくらい悲しいこともある。一人で家にいる時はドラマを観たり、本を読んだりと結構静かに過ごしている。悩みだってあるし、大人しい性格の自分もいるのだ。
友人たちから見る私と私が思う私に、ギャップがあると感じたのはいつの頃だったのだろう。もうすっかり忘れてしまった。
最近少し暖かくなってきて、近所を散歩するのがマイブームだ。私にはたまにスマホを置いて出掛けたくなる時がある。なんだか小さな端末のはずなのに、すごく重く感じてしまうのだ。
友人たちのアイコンが丸く光ると、誰と誰がランチに行ったとか、買い物に行ったとか、相手の近況をなんとなく見てしまう。普段はそんなに気にならないけど、なんとなくそういう“繋がり”みたいなものから解放されたくなる瞬間がくる。
歩きながら、ぼーっと考えごとをする。そろそろ髪を染め直しに美容院を予約しなきゃとか、晩ご飯は肉よりは魚の気分だなとか…。何となく少し遠くの公園まで来てしまった。
ふと、頭の中に思い出がよぎる。そういえば幼い頃、私は何にでもなれたなと思い出した。布団叩きをほうきに見立てて魔法使いになったり、泥だんごでケーキ屋さんになったり、お花屋さんにもネコにだってなれた。
いつから私は変身できなくなったのだろう。大人になる途中で、私は私でしかなくなったのだ。そんな気がする。
私って何者なのだろう。その考えごとは、定期的に行われるが答えなんか見えてこない。もしかしたら、この疑問の世界は宇宙より広い。私はこんなにちっぽけで小さいのに、頭の中は果てしないのだ。
友達とわいわいお喋りをすることもあれば、会議でプレゼンすることもある。「それな」「ぴえん」と言った同じ口で、「経営計画に沿って~」「レジュメの~」と小難しそうな言葉をすらすら述べる。
背伸びしておしゃれなお店に入る時はちょっと緊張するし、お子様ランチのサンプルを見てワクワクすることもある。家族の前でしかしないモノマネだってあるし、好きな音楽を車で熱唱する誰も知らない自分もいる。まるで、自分の中に何人もいるみたいだ。
就職活動の時に「あなたはどんな性格ですか?」という質問を受けたことがある。その時は「明るい」とか「積極的」とか何となくで答えていたが、実際は一言で表せるものではないだろう。
きっと、どんな自分も自分なのだ。学生の時より、社会人になってからの方が普段とのギャップを大きく感じる。責任を持たなければいけない時が増えたからか、理不尽なことも仕方ないと受け入れなければいけないからか。
この春で、社会人3年目になる。まだまだ私は、私が分からない。幼い頃のように違うものに変身は出来なくなってしまったけれど、その分、新しい感情を持つ私に出会っている気がする。新しい私との出会いを楽しみながら、私のことを少しずつ知っていきたいと思う。
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