お父さん。
寒くなってきて、犬がよりお父さんに甘えてくる季節ですね。
お父さんがそっちに行く4ヶ月前に、一足先に座布団を温めに行った忠犬。今日も膝の上を陣取っていますか。
まだひょっこり帰ってくるんじゃないかという気持ちが消えないまま、もうすぐ10年になりそうです。

「また来いよ」の言葉に、どれだけの気持ちがこもっていたでしょう

大きな事故から奇跡的と言われる生還、1年半の入院生活。
反抗期ど真ん中でそれが起こり、事故の前に最後に交わした会話を私は覚えていませんでした。
覚えているのは、本当に最期になってしまった「また来いよ」「うん。また来るね」の会話。
事故の後遺症、治療の過程で気管切開をしたことから、会話がうまく出来なくなったお父さんが発したたどたどしい言葉。
あの言葉に、どれだけたくさんの気持ちがこもっていたんでしょう。
きっと家に帰ってくる。そう誰もが信じていたから、私は一人暮らしと進学費用のためにバイトに明け暮れて、あまり病院に顔を出せませんでした。
今思えば、ちょっとだけお別れに猶予を貰えていたのにね。ごめんね。

お父さんの同級生や周りと比べると少し遅い子どもで、更に女の子だったからと小さい頃から行く所どこにでも連れて行ってくれたおかげか、今でも先輩や目上の人に可愛がられやすく育ちました。
遺っているお父さんの昔の日記を見ていると、オシャレや本が好きなところはしっかり受け継いでいました。
フットワークの軽さや、愛想がいいところもお父さん譲りだと思います。
お花や料理が好きなところはお母さん譲りかな。

「上っ面じゃなく本当に人が好きな人」という言葉の難しさも年々実感

お父さんがいなくなって、それなりの時間が経って、子どもだった私は年齢的には大人になって、色んなことを経験して、その上で残った私の中にはちゃんとお父さんがいました。
服の話なんてしたことないし、私の好みは色々変わりまくってからの今なのに、結果的に似たような好みに落ち着いたのはやっぱり血なのかなと不思議な気持ちです。

けれど、葬儀の時にお父さんの友達に言われた、
「あなたのお父さんは、上っ面じゃなくて本当に人が好きな人だった」
という言葉の難しさも年々実感しています。
人間の汚い部分とか、そういうものを私よりずっと多く見てきてるはずのお父さんが、周りから見てもそう見えていたという事実は凄いことなんだな、と歳を追うごとに気付かされました。
できれば私もお父さんみたいな、葬儀には人が絶えなくて、たくさんの人に愛されていたんだなぁと思ってもらえる人になれたらなと思っています。

いつかちゃんと楽しかったって言えるように、生きてみようと思います

ただ、とりあえず言えるのは、今のところ私は今の私が嫌いじゃないです。
生きていたら勿論嬉しいけれど、お父さんがいなくなったから、結果的に今の私がつくられているとも思うので複雑な気持ちです。
もしお父さんが生きていたら、私はどんな人間になっていたんでしょうね。
考えるとキリがないから、いつか会えた時にちゃんと楽しかったって思ってここに来れたよ、と言えるように生きてみようと思います。

お父さんがくれた、一生形に残る私の名前。
呼びやすくて覚えやすいから、たくさんの人と私を繋いでくれます。
この名前があるから、より楽しかったと思える人生になると思うので、私の武勇伝をお酒を飲みながら聞く準備を整えておいてね。

最後に、めいっぱい愛してくれてありがとう。
まだ足りないので、空の上からも余すことなく注いでおいてください。
返せなかった愛情は、そっちに行った時に一生分まとめて返すから。