「ママに愛されていない」蟠りに誘われ、寂しさだけを埋める日々

私の胸の中には、微かなわだかまりがずっと残っている。
それは幼い時に抱いた、「私は、ママに愛されていないんだなあ」というほぼ幻想的にも思えるわずかな感情。
別に虐待もされていなければ、言葉の暴力もそんなに受けていない。
でも、幼い頃の私にとって、自分に関心のない若いママと大きな寂しさを生じさせた感情は、母からの愛を感じられなかった私を闇の中に引き摺り込むのには十分な要因だった。

数年前。空虚な生活と胸のわだかまりに誘われるようにして、高校時代から最近まで私は母に隠れてアプリで出会った男性と「ワンナイト」を繰り返していた時期があった。
ただ会って、ホテルに行って帰るだけ。
体の関係以外に私は何も求めないから、男性は物珍しげに私に問いかけてくることが多々あった。
「なんで、こんなことしてるの?」
その問いの答えを当時はわからなかったから、「『この行為』が好きなの」と笑顔で答えるのが常だった。
だってセックスをしているときは、何も考えなくていいし、無造作に。たとえモノみたいに雑に扱われてたとしても私の存在を誰かが認識してくれている。
その現実だけで私の心は生かされていたから。

心の奥で涙を必死に堪える3歳の私を抱きしめてあげられなかった

でも、今ならわかる。
私は誰かに抱きしめられて眠る夜を過ごしたかっただけなのだと。
ただ、「そばにいられるだけで幸せだよ」って抱きしめてほしかったんだと。
当時、弱くて脆くて、誰かに認めてもらえないと私は私を保てなかったから。
心の奥底の隅っこで、体育座りしてる。
小さく蹲るように膝を抱えて、涙を必死に堪える3歳の頃のわたしを、私は抱きしめてあげられなかった。

でも、そんな私もいろいろあり、今は少しだけ母からの愛情を認識できるようになりつつある。
だから、私は母に声を大にして伝えたい。
今は私を暖かく抱きしめてくれる彼がいること、毎日幸せに暮らせていること、ワンナイトの話をママにわざと聞こえるように話していた時、ほんとは思いっきり打って欲しかったこと。
たまにでいいから、23歳の大人の女性じゃなくて、自分の娘だと思って私が嫌がるくらい抱きしめてほしいこと。
それだけ。

愛に飢えた私が増えないように。お母さんたちは愛を伝えてほしい

そして世の中のいつも頑張っているお母さんにも伝えたい。
いろいろな女の子がいるから一概には言えませんが、是非、今日、愛しているって娘さんを抱きしめてあげてみてください。

夜帰りが遅いって怒るの嫌がるだろうなあ、やめとこうじゃなくて、夜帰りが遅いとすごく心配になるから連絡してねとか、気恥ずかしいって感情は隅に追いやって、是非愛情を伝えてあげてください。
この文章を言い訳に。
私のせいにして、是非。

多分、それだけなんです。
言葉のボタンの掛け違いだけで、未だに私は愛される資格があるのか悩んじゃうくらいに、過去してきた事が悔やみきれなくなる時があるんです。
だから、そんなふうになる前に。
愛に飢えたワタシが増えないように。