どうしてもまた訪れたい場所がある。
それは、母の実家があった山口県の島、「角島(つのしま)」だ。

そう、「あった」。今はもう、家は別の人のものになってしまったそうだ。

大きく膨らんでいく、母の実家である角島を知りたいという欲求

そうなる前からいろいろなことが重なって、私たち家族の足は母の実家から、その島から遠のいていた。最後に訪れたのはいつだったか。覚えていないくらい前である。少なくとも私が中学に上がってからは一度も行っていない。

なんてもったいないことをしたんだろう、と今は思っている。
簡単に帰れなくなってから後悔しても、今更遅いのに。

それでもなんとしてもまた訪れたいと思っているのは、私が角島をほんの少し知っていて、「帰りたい」とつい言いそうになるくらいには親しみがあって、でもその半分も知らないんだということも、同時に理解しているからだ。
知っているから帰りたいし、知らないからもっと知りたい。

これがたとえば単に、「なんのゆかりもないけれど何度も訪れた場所」だったら、また話は違うのだろう。
でもこの島は私にとって、なんといっても「母の実家」なのだ。母が青春時代を過ごしたそこは、私が過ごしている環境とは場所も時代も全く違う。話を聞くだけでも心動かされるその物語を、実体験として知りたいという欲求は、最後に角島を訪れてからの月日が流れれば流れるほど、大きく膨らんでいく。

角島で、母が過ごした青春時代。母の見ていた景色を想像する

母から聞いた話を少しだけ。
角島は、母が青春時代を過ごした頃には、本土に繋がる橋がまだなかった。中学は島の中にあったが、高校は本土にあって、毎日船で通っていたそうだ。最後の船が出る時間が早いから、寄り道なんてそうできなかったのだと母は私に話してくれた。

今は「角島大橋」という橋がかかっていて、それなりに知名度も獲得して、撮影なんかにも使われているけれど、母の見ていた景色はそれとはまったく異なる。
私は橋のかかった姿しか見たことがなくて、何なら角島に行くときには両親の運転でその橋をありがたく通ったのだけれど、それでも東京にいて想像するよりも、角島の海辺で目を瞑ったほうが、母の過ごした時間により近づけるに違いない。

それから、モンゴウイカの話。
ある日浜辺を友人と歩いていた母は、大きなモンゴウイカが打ち上がっているのを発見したそうだ。それを売りに持っていくと、結構いいお小遣いになった、と母は笑っていた。
海から離れた場所に住んでいる私が、絶対に遭遇できない青春のひとコマ(イカで稼ぐのが青春かはちょっと怪しいけれど)。素直に羨ましい。
イカは見つけられないかもしれないけれど、私も角島の浜辺を歩いて、特別な思い出を見つけたい。

私の中にも島の血は流れているはず。母の実家はなくとも島へ帰ろう

印象的だったのは、祖母が電話交換手をしていたという話。
祖母が夜にその仕事をするときは、職場である郵便局の二階に母もついていって、ときにはいたずらもしたのだという。
その話を聞いたときの私の第一の感想は「歴史じゃん」だった(だって、「電話交換手」なんて、私にとっては日本史で覚えさせられた事項のうちのひとつなのだ)。でもきっと今なら、角島でなら、もっと別の感想と、豊かな体験を得られる。

帰る場所なんかなくても、それでも島へ帰ろう。
この島の血は、私の中にも流れているはずなのだから。