目の前が真っ暗になり、頭から血の気が引く感覚。言葉で表す絶望と実際に体験する絶望にはギャップが存在している。本当に絶望を感じた時、「絶望したわ~」と口に出すことはないだろう。
そんな本物の絶望の経験が私にもあった。
「お母さんと離婚する」。夢のような時間から戻り、血の気が引いた
高校2年生になろうとしていた春のこと。誕生日や長期休み、季節の変わり目ということもあって、私は四季の中で一番春が好きだった。しかし、その年の春だけは違った。
友達の家に泊まって休みを満喫していた私は、夢のような2泊3日を終えて家に帰ると、家内の空気がひんやりとしていた。人間の嫌な予感というのは、当たって欲しくない時に限って見事に的中するのだ。二階のリビングから名前を呼ばれて階段を上がると、真っ青な顔をした父がいた。
「お母さんと離婚する」
一瞬の出来事に頭が追い付かなかったが、段々と血の気が引いていくのが嫌でも分かった。
私が家を空けていた間に全てのことに終止符が打たれ、家には静けさだけが残っていた。
離婚の理由が、人間関係の不祥事が原因であったことは容易に察せた。辛かった。両親は喧嘩をしても仲直りをし、休日には一緒に晩酌を楽しみ、私や兄を大切に思っていてくれていたはずだった。
離婚という実感が湧けば湧くほど、家族で楽しく過ごしていた頃の記憶が蘇ってきて涙が止まらなかった。けれど、誰にも相談できなかった。何年も仲良くしている親友にすら相談できなかった。
「普通」でなくなることが怖かったのだ。自分がもし相手に嫌なことをしてしまった時、「あの子は片親だからね」と決めつけられることを恐れていたからだ。親友のことすら信用せず、気を遣わせないようにとかっこ悪い我慢をし続けていた。
頼れる人は誰もおらず、こんな時に誰かにすがれたらどんなに楽だろう
そんな時、立て続けに嫌なことが起こったのだ。付き合っていた彼氏に振られた。それも一年記念日の前日に。振られただけならまだしも、前の彼女と浮気していたことが発覚してしまい、言葉も出なかった。
この一連の地獄物語を聞いて、創作じゃないのかと思う人もいるだろう。こうして今キーボードを打っている私でさえ、作り話であれば良かったのにと思うくらいなのだから。
帰る家は冷めきってしまい、頼れる家族も恋人もいなくなってしまった私には、「誰かに頼る」という言葉すら残っていなかった。
こんな時に誰かにすがり付いて思う存分に涙を流せたらどんなに楽だろうか。家庭も崩壊して大好きだった人に振られた今、怖いものなど何もなかった。
私は学校をさぼった。いつも親友と待ち合わせをする駅のホームで、私は親友に「学校は行かない」と告げた。
全てを投げ出したい衝動に駆られて、出来もしないことを言ってしまったのだ。ましてや学級委員を担い、課題の提出など遅れたことなどない彼女はきっと呆れるだろうと思っていた。
「どこへ行く?」と無邪気に聞く彼女。頼れる人はちゃんと横にいた
けれど、彼女は「私も行かない」と呟いたのだ。呆気に取られてしまった。
目を見開く私に「どこへ行く?」と無邪気に聞いてくる彼女を見て、私は全部見透かされていることを悟った。私は彼女の優しさに負け、全てを打ち明けることを決意した。
彼女は同情の言葉は言わず、ただ黙って話を聞いてくれた。私は抱えていた苦痛を話せたことに安堵し、ボロボロになるまで泣きじゃくった。
今思えば、当時の私は全てを失くしたと錯覚していただけで、頼れる人はちゃんと横にいたのである。私が初めて誰かに弱みを見せて頼った経験は、彼女の優しさに包まれて淡い青春の1ページとして刻まれた。
そんな彼女は、大学生になった今でも昔のようにそばにいてくれている。親友という関係を始めてもう7年にもなるのである。こんなにも長く一緒にいれることが私にとっての誇りであり、自慢の親友である。本人に直接言うのは気恥ずかしいけれど、このエッセイには書き残しておきたい。
親友へ いつもありがとう。 私より