私には、慕う人がいる。私が慕うその人は、歳がふたまわり以上離れた美しい方だ(以下、リニーさんと呼ぶ)。

リニーさんと過ごした時間は、いつも私の心を温かくしてくれた。
私はリニーさんにとても感謝しているし、リニーさんが大好きで憧れで、リニーさんのように歳を重ねることができたら素敵だなと思っている。
そしてリニーさんは、私に「現状を受け入れて生きる」という考えをくれたし、そんな現状の中で前を向く力をくれた。

不仲な両親、そして母の死。おかしな心を抱えた私が出会ったリニーさん

私の育った家庭環境は、父と母の喧嘩をよく聞いたり、父が母に手をあげることもあったり、家族仲が良いものではなかった。また、母を早くに亡くしたが、母から愛情をたくさん受けて育ったことが、私が今も生きていける原動力の根底にある。私と父は関係が良好ではないし、何より私は、父が過去してきたことを受け入れることができなかった。
そうして父と過ごす中で、知らぬ間に人に対して自分の思いを口にすることを躊躇うようになり、諦めてしまっていた。家族の内がもたらすものは、次第に社会の外に響いてくる。
大好きを好きと言えず、嫌いを嫌いと言えない、そんなおかしな心を抱えてモヤモヤしていた。

現状に抗おうとしている葛藤の只中、私はリニーさんと出会った。出会った瞬間、リニーさんから光が放たれているような、そんな感覚に陥ったのを覚えている。

出会ったのは私が初めて働く場所で、リニーさんは長年のベテラン。初めは仕事を教えてもらったり、ミスをしたら手を差し伸べてくれたり、お世話になった。その中で、リニーさんはたくさん褒めてくれ、時に温かい言葉をくれた。
私はそれらにとても救われた。また、リニーさんと一緒にいるときは気楽になれた。
しかし、自分の嬉しい、楽しい、幸せ、という感情を、リニーさんの前であからさまに出すことはなかった。心が感じたまま接することはなかった。愛がたくさん渦巻いている本当の内側を知られて、人が離れていくのが怖かったのかもしれない。

家族を大切にしていたリニーさんとの別れと後悔

やがて、私のライフステージの変化で本当に離れることになった。
離れてから、自分の愚かさに気付いた。リニーさんとの関係を大切に築くことができなかったことに、やるせなさが込み上げてきて、私は泣いた。泣いて泣いて、涙が止まらなかった。

リニーさんは、家族を大切にしている人だった。なんだかんだ家族の愚痴を言っても、そこに愛があることは伝わってきた。それはリニーさんが、家族という存在を大切に築き上げてきたことの表れだったと思う。
今振り返ると、そのことが、家族の愛を感じることが少なかった私の心に、大きな温かさをもたらしてくれたのではないかと感じている。

私がリニーさんの大切な部分に踏み込むことは出来ないし、したくないし、しない。それは私とリニーさんがもう交わることのない証しで、一度でも会わせてくれた巡り合わせに感謝をしたい。

心の中のリニーさんを思って流す涙。その涙に救われる

私は今、新しい会社で働いている。最近、新型ウィルスが経営に与える影響を直近で感じることがあった。
大丈夫です、と口にはするものの、本当は疲れている。万全な体制ではない中で仕事を回すことに、疑問を抱いている。漠然と、世の中が変わる過渡期にいるのだろうと思って折り合いをつけている。
そのようなことが続くと、自分自身が虚しく思えてきて涙が溢れてくる。

そして無意識に、リニーさんに会いたいと泣いていた。
私は見てるよ、癒されにきた、頭ぽんぽん、そしてごめんねとありがとうの言葉。

リニーさんと会えなくなった今でも、私はリニーさんに救われた。そのことが、悲しさの涙から美しい涙へと変えてくれた。
私はあなたと会えて良かった、という美しい涙だ。リニーさんの存在が、涙を美しくしてくれる。そして、いつか自分自身の手で嬉し涙に変える日が来るだろう。
その日まで、私に力を貸してください。そうして私は、その涙に切実に訴え、頼った。