4月28日。これが私の記念日だ。
この日に経験したことは、これまでの私の人生の半分をともに過ごしたと言っても過言ではない。
どんな出来事があった日かというと、事故をして怪我をした日だ。

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当時、私は小学生だった。新年度になり、学年が上がったことで初めて習う教科が出てくる。次の授業はその教科の1回目の授業だった。その授業を楽しみにしつつ、少し長めの休み時間で私は、グラウンドに設置されている鉄棒で遊んでいた。
友達の中で、懸垂ができる高さの鉄棒の上に登って座るという遊びが流行っていた。その遊びを2、3人くらいでしていたとき、事件は起こる。

その鉄棒に座る前、鉄棒にブラブラとぶら下がっていたとき、鉄棒から落ちたのだ。
一瞬のことだったため、どのように落ちたのか、なぜ落ちたのかはわからない。記憶には全く残っていない。
記憶にあるのは、そのあと。うつ伏せの状態で地面に寝ており、あごを打っていた。体感にして5秒くらい、現実を理解できずにその場で固まっていた。
やっと頭が回りだしたとき、私がいる場所が学校で、自分が鉄棒から落ちたんだということが理解できた。周りには、近くにいた同級生が数人駆けつけてくれていて、心配そうに私を見ている。やっと怪我をしている自分に気づいた。

とりあえず保健室へ行くことになったが、その同級生たちに両肩を支えてもらい、泣きながら保健室へ向かう。
自分が思っている以上に怪我はひどかったらしく、着ていた服の首元には大きな血のシミができていたらしい。あごは、打っただけでなく切ってもいたため、出血していたのだ。
保健室へ向かうと、保健の先生が血相を変えて私に駆け寄ってきた。急いであごの傷口を水で洗い、止血する。着地した時に手も擦りむいており、その処置もして、私はベッドに寝かされた。
ただ事ではないと判断した保健の先生は、校長先生を呼んできて怪我の状況を説明、救急車で近くの大きな病院へと搬送されることとなった。

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検査の結果、私はあごの骨が折れていることがわかった。着地のとき、あごを打った衝撃で骨が折れたのだという。搬送された病院でも治療はできるのだが、隣の市により専門的な病院があるため、そこを紹介されて向かうこととなった。

当時小学生。あごの骨を折る人の多くは、交通事故などで負傷した青年が多いのだそう。この歳で、こんな理由で起きる怪我としてはかなりレアケースであったらしい。
主治医の判断や、小学生であるがゆえに期待できた自然治癒力により、1ヶ月の入院治療で概ね回復。あとは定期的な通院で経過を見ていくこととなった。

その期間は、18歳になるまで。理由は、骨の成長が落ち着く年齢だから、だそうだ。
子どものころに怪我をしたため、くっついたからと言って今後の成長に影響しないと断言できる保証はなかった。骨折した側がうまく成長せず変形した場合はその時点で治療を行うとのことだった。

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あれから10年以上が経った。
毎年この日になると、当時のことを思い出す。そして、経過した年月を振り返って、何事もなくここまで成長できたことを感慨深く思うのだ。

親と一緒に通っていた病院も、自分一人で行くまでに成長し、主治医から「もう大丈夫だね」と言われたため、通院を卒業。完治という判断になった。
後遺症と言うまでではないが、わずかに機能的な特徴が残ってはいる。しかし日常生活には全く問題なく、誰かにこれを指摘されたこともない。それくらい不自由なく過ごせているのだ。
あのとき保健室まで連れて行ってくれた同級生も、すぐに対処してくれた保健の先生や校長先生も、レアケースながらもチームで治療にあたってくれた先生方も、感謝すべき人たちだ。
なにも後遺症がなかったからこそ、私だけが覚えている、特別だと思う日付となった。
自分だけが経験した出来事として、自分の色になった気さえした。
出来事は、決していいことではないけれど、私にはなくてはならない出来事だと思っている。

私だけの記念日、4月28日。
自分だけしか知らないからこそ、より特別な日となり、ずっと覚えている記念日となった。