私が文章を書くのは副賞をもらうためだった。副賞の本がほしい、図書カードがほしい、家が貧しかったので文章を書く動機はそんなものだった。
一方で、表彰状や褒めの言葉をもらうのは嫌いだった。他人の目が怖かったからだ。

児童、生徒あるいは学生として文章を書いて応募するとき、そこには学校名や自分の名前が伴った。評価された場合は、ホームページに載るなど人の目にさらされる可能性があった。だから、賞を取ったときも先生にお願いして、公表しないようにしてもらった。副賞さえいただければ、私が書いたということなんてどうでもいいのに、何度そう思ったことか。

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コロナで自宅待機が迫られるようになって、社会の様々な問題が明るみに出てきた。その中の一つにオンライン・ハラスメントというものがある。
オンライン上で、匿名で他者を誹謗中傷するのだ。そして、このターゲットは若年女性であることが圧倒的に多い。
芸能人が匿名の誹謗中傷が原因で自殺に至るという事態も発生していた。言葉にも人を殺すほどの力があるのだということを改めて感じる事件だった。S N Sの匿名性をいいことに、好き勝手言って、人を傷つけている。

私は自分が特定されることが嫌だった。名前なんて消してしまえたらと思っていた。
しかし、一連の事件を受けて、コンクールなどにおいて、学校や名前が掲載されるのは自分の発する言葉に責任を取らせるためなのかもしれないと感じた。

匿名で何かを発信するのは、とても卑怯なことなのだ。自分が言ったからにはきちんと責任を取らなければならない。そうしないと、言葉の暴力が飛びかったり、デマばかりが流れてしまったりする世の中にもなりえてしまう。

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自分の発信したことによって、周りから白い目で見られるのを恐れている私は、無責任だった。文章を書いたことに責任を持つよう著者は特定されて、日常生活に現れることは基本ない、ペンネームの利用という方法に至った。私は今回、初めてペンネームで文字を綴っている。

私は当たり障りのない文章、あるいは模範解答とも言えるような文章を書き、自分の考えや想いは表に出さないで人生の大半を過ごしてきた。とても小さい頃、書いていた日記を勝手に読んだ母にひどく怒られてから、自分の考えを世の中に出すことに臆するようになった。

自分で書いたことだから、自分で責任を取る。しかし、私が書いた文章だということをやはり一目瞭然で知られたくはない。

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今回はこういうモードでいこうと決め、文字を打ったり書いたりし始めると、自ずと続きが出てくる。みんなそうなのかもしれない。確かめたことはない。でも、私の特性なのではと信じている。
私にとって唯一誇れることは文章を書くのに困らないことだった。それが偽りの内容であったとしても。文章を考えることで、頭の中を整理しうる。

私は自分のことについての考えがぐちゃぐちゃだ。自分について考えるのを避けて生きていて、いつも「すべき」「これが良い」の道を選んできた。

そして、最近それがしんどくなってきた。ペンネームではあるけれど、自分のことをもっと素直に見つめてみよう、そのために文章を綴ってみようと思う。今でも、わずかに副賞獲得に期待しながら。