「ここにいる人のことなんて絶対信じへんからな」

私が推せる友人に最初に言われた言葉です。
それは5年前の10月、南太平洋に位置する島国で仕事をするために引っ越しを完了し、2週間経ったときのことでした。

そんなに仲良くもない私に、なぜこの人はこんなことを言うのか、心当たりすらもない私はまさに開いた口が塞がらない状態でその友人の顔を見るしかありませんでした。近所に住んでいた日本人同士で歓迎会を開いてくれたので面識もありましたが、彼女が関西弁を話す人だと気づいたのもその時でしたし、それくらいの仲です。

それだけを言い、私を残して彼女は足早に自宅の方に向かっていきました。

私はもとより対人スキルのない方で、環境が新しくなるときはいつも周囲とうまくやれるかを気にしてしまいます。今回は最悪だと悟りました。

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そんな彼女とは今は大親友です。彼女の推せるところは、良くも悪くも図々しいところと、それが故に気軽に連絡をくれるところです。私が彼女に出会った南の島で暮らした2年間のうち、一緒に旅行や食事をしたり、自宅を行き来したりした機会のうち、そのほとんどが彼女からの発案でした。

次に彼女と接触があったのは、一緒に来月のマラソン大会に参加しないかという趣旨のLINEが来た時でした。

私はダイエットのために毎日ジョギングをしていたので、それを知っていて連絡をくれたのでしょう。マラソン大会の開催自体は知ってはいたものの、参加するつもりはなかったので迷いましたが、せっかく誘ってくれているのだからと参加することに決めました。

せっかくついでに一緒にジョギングをしないかと提案しましたが、そこまでの熱量はないとあっさり断られてしまいました。毎日5キロしか走っていなかったところをマラソン大会で実際に走る10キロを週末に走るようになり、おかげでジョギング仲間は増え、私の体重は見事減っていきました。

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マラソン大会当日、彼女は私と面識のない自分の職場の同僚を連れてきていて、みんなで走ろうという顔で私に紹介してきました。おそらく、同僚の方も私の存在を知らなかったのでしょう。絶妙な空気のままスタートし、無事に3人で完走しました。10キロのコースを走り終えた頃には、彼女の同僚とも打ち解けたことは言うまでもありません。その場で、翌月に同僚の出身地に遊びに行くことも決まりました。

その後は同僚と私の2人で会うことも多くなり、その繋がりで友達も増えました。不便な途上国で暮らす上では親戚や友人の多さが融通や豊かさへの鍵になります。その同僚に助けられ、ありがたいチャンスにありつけたことが何度あったか数え切れません。

2年の任期を終え、日本に帰ってきてからも彼女との交流は続いています。新型コロナウイルスの影響で、三重県に住む彼女と当時長野県に住んでいた私が実際に会うことができたのは3年間で3回だけです。それでも今でもたまに急に通話をかけてきたり、テレビ電話をしようと連絡をくれたりします。年齢を重ねると友達が減っていくものだと大人になってから気づきました。「元気?」「最近どう?」とたった数文字のLineでも忙しそうだなと思ってしまうと躊躇してしまいます。季節に一度でも連絡をくれる友達が何人いるでしょうか。私ができないことを他の誰かが補ってくれればそれに頼ってもいいということも彼女との交流の中で気づきました。そのことを彼女に話すと、自分一人で完璧になる必要はないと笑って言ってくれます。他力本願で生きてた方が楽やでと笑っている彼女が私は大好きです。