痩せの大食い。
そう呼ばれるようになったのは、中学生くらいのときだったと思う。テレビ番組のようにはいかないけれど、私は周りの人よりよく食べるらしい。
「あんなにあったのにもう食べたの?」
「その細い体のどこに入るの?」
家族だけでなく、友人からも驚かれていた。

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犬屋敷家の食卓には、質素ながら栄養満点の料理がたくさん並んでいた。祖母や母が作ってくれる料理は、いつも美味しかった。食べることが大好きで、毎食は私にとって幸せな時間。

お腹も心も満たされている間は、嫌なことなんて忘れることができた。好きなものを好きなだけ食べることができる。当たり前になってしまっているけれど、毎日のように食事ができるって、本当に幸せなことなんだなと実感している。

10代の頃よりも胃袋が縮んだかもと、アラサーになってから感じはじめた。社会人になってから、ストレスのせいかそれほど食べられない日もある。それでも、元気なときは食欲旺盛。

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行きつけのお店に1人で行くと、友人と一緒のときと同じかそれ以上の量を食べる。「よく食べるね」と笑われたときもあった。美味しくてパクパク食べてしまっていたけれど、仕事でメンタルがやられていたときは少し違った。「食べて嫌なことを忘れる」ということを目的に、腹八分目を超えていても食べてしまっていた。まるで、やけ酒しているかのように止まらなかった。その結果、お腹を壊してトイレにこもることが増えた。

心身の健康のためには、もっと抑えるべきだったと思う。でも、このときの私はそんな判断もできなかった。仕事中も作業部屋に1人でこもりながら、お菓子をどんどん口に入れていた。そうしないと、仕事に集中できなくなっていた。行きつけのお店でも、たまに食べすぎてしまってお腹が痛くなることがあった。

私は、食べることを我慢できなくなっていた。食べることで幸せを感じてきたはずなのに、いつの間にか、それをストレス発散にしてしまっている自分がいた。いっぱい食べてお腹を壊すことを繰り返していたので、体重が落ちて目眩がするようになっていた。
「食べることは幸せなはずなのに、どうしてこんなにつらいんだろう」
毎日ではなかったけれど、家に帰ると悲しくなって涙が溢れてしまうことがよくあった。
帰省するたびに、母は私のことをとても心配していた。目眩や腹痛がつらくて横になっていたときは、落ち着くまで私のお腹をさすっていてくれた。

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食事は消化にいいものを作ってくれていた。
「残していいから、お腹と相談して食べな」と、私が食べる前に母はいつも言っていた。
母の優しさに感謝でいっぱいだった。

出向先が変わり、嘘みたいに体調が良くなった。今では、また以前のように食べることを楽しめている。

お腹いっぱいになったらそこで止めて、楽しみは後にとっておく。もう自分をダメにするような食べ方はしないと、私は心に決めた。私がつらいからというのもあるけれど、何より母が悲しむ顔を見たくない。次の帰省のときは、母が作ってくれる料理を好きなだけ食べて、心から幸せを感じたい。