賞が欲しい。

それは私が幼少時から一貫して思ってきたことだ。賞への欲望はいつしか原動力になり、そして、今でもまだ受賞を諦める必要性がない場所にいることができている。将来の道に悩んだ時も、この賞を目指せるか目指せないか、も判断基準の一つだったと言っても過言ではない。

だが、口に出して言ったことはない。とてもではないが言えるような類のものではないからだ。スポーツ選手がオリンピックで金メダルを取りたい、とは少し違うベクトルの章だからだ。なんという賞なのか、皆絶対に聞けば知っているが、そうであったとしても、この場でも書くことはできない。

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別に賞なら何でもいいわけではない。この賞がとりたい、そういう確固たる思いのある賞がある。なぜそこまで固執するのかはわからない。また、この賞のために頑張る、というのも違うということもわかっている。頑張ってきたことを周りが評価してくれてついてくるもの、それが本質だとしても、そうだとしても私は欲しいのだ。

この賞の特徴の一つに、不特定多数の人に影響を与える、というものがある。わたしはおそらく、この賞をとって、周りの人にお祝いをしてもらい、頑張ったね、自慢だよ、と言ってもらいたいのだ。現に一度だけ、口に出したことがある。小学校の卒業文集だ。その文集を覚えていた幼馴染のお母さんが、就職報告をした際、「本当に取れそうなところにいるね。受賞楽しみにしてるね」と言ってくれた。私はこの言葉を待っていたのだ、と強く思った。

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就職して1年が経ち、仕事がそこそこ辛い時期に差し掛かっていた。難しい業務に加え、社会人というものがどういうものなのかもよくわからず、人間関係にも悩むようになった。人の役に立ちたいという気持ち一筋に大義を持って始めたはずの仕事もいつしかお金のためになっていった。

もう限界だな、そう感じた時、とある会合に呼ばれた。学生時代から付き合いのあったものだ。コロナ禍でオンラインが続いていたが、やっとのことで直接会う機会を作ることができたらしい。楽しみではあったが初めて会う人たちばかり。それに、今まで経験したこともない社交の場。

そんな場所でも、大人の人たちは優しく接してくれた。そして、私の仕事を聞くやいなや、とある人を紹介してくれた。

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「君には〇〇賞を狙うチャンスがある」

一瞬耳を疑った。この人には何も話していないのに、まずその言葉が出てきたのだ。

そして思い出した。この賞は生きている人しか受賞することができない。毎日現実感もない中、ただ仕事をこなすことだけに追われていたが、突然生きる希望が湧いてきた。私はそれから、少しずつ、賞が欲しい、ということを口にするようになった。

私はいつか国際的権威のある賞を作りたい。そして必ずつける条件は、生きていること、だ。私が助けられたように、誰かの生きる希望になるように。