自分で言うのもなんだが、私はいわゆる「優等生」だった。
高校を卒業して、国立大学に入学した。学生時代は熱心にサークルに励んで、第一志望だった志望先から内定をもらった。
しばらくその企業で働いていたけれども、他に挑戦したいことが見つかった。若い時だからこそ臆さずにチャレンジしようと思い、転職活動を始めた。すぐに採用の返事をいただいた。
転職先の仕事は、ずっと憧れていた仕事だった。これから先は、ここで一生働いていくのだと信じていた。
だけど、そうはならなかった。
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憧れていたはずの仕事だった。実際、前職と比較にならないぐらい仕事は楽しかった。
だけど、前職に比べてプレッシャーがかかることも多く、残業時間も膨らんでいった。
楽しいはずの仕事なのに、だんだんと心が重くなった。
朝、起きられない日が増えた。楽しいと思っていた趣味も、何も感じなくなった。
仕事中はアドレナリンが出ているのか、ものすごく集中して取り組むことができていた。だけど、その分周りの人の仕事の質が気になって、イライラすることが増えた。
そんな日がしばらく続いた頃、急に涙が止まらなくなってしまった。
適応障害だった。
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病院の先生や職場の上司と相談し、しばらくお仕事をお休みすることになった。
大好きな仕事だったのに。本当にショックだった。
優等生だった私は、いつの間にかいなくなってしまった。そう思って毎日泣いた。
涙も底を尽きたころ、久しぶりに外を散歩することにした。
季節は秋だった。自宅近くの木々は赤く染まり、空には雲が高く浮かんでいた。
ずっと下ばかり見て歩いていたから、気づかなかった。今までよりも少しだけ世界が色づいて見えた。
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お医者さんからは、「好きなことだけするように」と言われた。
元々手芸が好きだった私は、ある日、アクセサリー製作の体験に出かけた。アクセサリー教室の先生は、私より1回り年上のお姉さんだった。元々他の仕事をしていたけど、その仕事を辞めて、アクセサリー教室と別の仕事をもう一つ掛け持ちして、自宅でダブルワークをしているらしい。
「なかなか珍しい働き方だけど、私にはこれがあっているみたい。毎日楽しくて仕方がないよ。」そう笑う姿が印象的だった。
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休職してから半年後、私は「フリーランス」として社会復帰を果たした。
アクセサリー教室の先生と同様の、一つの会社に属さない、少し珍しい働き方を選択した。
正社員として、フルタイムで働いていくことが当然だと思っていた私には、大きな決断だった。
社会のレールから外れてしまったようで、最初は周りの目が気になって仕方がなかった。
だけどこの働き方は思っている以上に自分に合っていた。本当に大切な、大好きな仕事を、無理のない範囲でできるようになった。仕事に追われて、自分が壊れてしまうことは無くなった。メリハリをつけて仕事ができるようになったから、仕事のパフォーマンスもずっと上がった気がする。
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会社を休職したことも、正社員という働き方をやめてフリーランスという働き方に変えたことも、ひょっとすると他の人からしたら「逃げ」なのかもしれない。
だけど私は、この選択をしてよかったと思っている。
心が壊れて、自分が自分でなくなってしまったあの時ほど辛いことはなかったから。
もし今、当時の私と同じように苦しんで、悩んでいる人がいたら伝えたい。
想像していた「生き方」のレールから外れてしまっても、あなたはあなたの生きたいように生きていい。一つしかない自分の心をどうか大切にして、生きてほしい。