デートでサイゼリアにいくなんて!とか、男がおごるか?割り勘か?など、デートというとなにかと【金】の議論がわきやすい。

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まあ確かに洒落たフレンチやらに行きたい気持ちも、女性はメイク代やら服装代やらうんぬんかんぬんもわからんではない。

けれど共感はしない。

自分と違う意見を頭ごなしに否定したくはないから、「ふむ」とひとまず意見には耳を傾けてみるものの、やはり「サイゼリアでデートなんてありえない!」という人や「奢らないなんて男じゃない!」といった考えは私の考えとは一致しない。
でもそういう意見もあるんだろうなあと思いつつ…私は自分の理想のデートを思い描く。

デート。

子供の頃少女漫画やアニメで主人公と意中の人がデートする姿を見て胸を弾ませ、「デート」という単語そのものに甘酸っぱさを感じていた。「デート」という表記もいいし、「デェト」といってもなんとも浪漫を醸し出してる。まるで魔法の呪文だ。

けれど、いざ大人になり実際のデートを体験して真っ先に思ったのは「こんなもんか」。

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テレビや雑誌やメディアがこぞって紹介するデートスポットには飛んで日にいる夏の虫という言葉がぴったりなくらいカップルがいて、人混みには酔うし、病的な気遣い屋の私は相手が疲れていないか、お腹が空いてないか、機嫌を損ねていないか、と気疲れをして、美味しいはずのごはんも、自分の舌がうまいかまずいか感じてるよりも、相手の舌の様子ばかり伺ってしまい、自分が楽しむよりも、相手が楽しんでるかが優先の「接待」になってしまう。

キャッキャウフフとした少女漫画が原材料のファンタジーなイメージは崩れ、肩肘張って、顔色伺って、慣れぬヒールで血豆を作り、塗りたくったファンデーションで肌を痛める、私のHPを削る厄介なクエスト=「デート」になったのが20代前半。

子供心に抱いたデートへのメルヘンチックな幻想がが成仏せず、20代は少しずつ消費していき、20代も後半になると理想のデートの図というものが180度変わってきた。

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些細なことで幸せになる低燃費な私は別に流行りのデートスポットに行かなくても、いいのだ。

フレンチよりも、おごるおごられるよりも金のかからず、対等なデートのほうがすきであり、理想であり、1番胸に残ると気がついた。
そしてその相手は自分も背伸びをしない相手が◎。

「女の子らしい女の子」「相手に合わせた私」に武装する化粧で弱る肌、蒸れ痛むハイヒールの内側に耐えるのではなく、よろよろのプロレスTシャツにスニーカーでもそれを責めない人。私も別に相手の服装の類には、全裸や半裸ではない限り、口を出さないから。

無理をしなくていい、少し背伸びをするならそれはリップクリームを塗るくらい。
遠出をしなくていい、お金を使わなくってもいい。

年齢があがったのにこんなことを理想というなんてちょっと滑稽だけれど
アラサーの私が思い描く、理想のデート。それは例えるならば学生のデートといった感じだ。

サイゼリアでドリンクバーだけでテスト勉強するとか、学校の屋上で授業をサボるようなそんな感じ。
先日もミスドで勉強するカップルをみてムフフと熱視線を送ったものである。

かといって時は戻らない。

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40代や50代、それより上の年代の方が学び直しに大学に入るのは素晴らしいことではあるが、さすがに高校や中学に入り直しはできない。現在セーラー服に袖を通してお天道様の元を歩いてみては立派なコスプレおばさんになってしまう。ハロウィンか夜のお店でしか通じない。

年齢は気にするな、ただの数字だといっても、ここ「かがみよかがみ」にも年齢のボーダーラインがあるように年齢はやはり、時に簡単に人を蹴落とす。

このままではメルヘンチックな幻想は成仏できず、厄介なこじらせ悪霊になってしまう。

けれど学生に今更戻れなくても似たようなデートは出来ることに気がついたのだ。

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デートをしようにも土砂降りではどこにもいけない。
雨宿り代わりに誘ったのはレンタルビデオ屋さん。

配信やサブスクの時代とは言われているが私は棚いっぱいの見た作品やまだまだ見ぬ作品のタイトルに囲まれたレンタルビデオ店の雰囲気が好き、毎週ドラマや映画のDVDを借りているヘビーユーザーだが、「レンタルビデオ店なんて、久しぶりにきた。まだあるんだ」
意中の相手がぼんやり言う。

相手はもちろん今時に配信の類でドラマや映画を楽しんでるクチで物珍しそうな。そんなのお構いなく私は目につく洋画のタイトルを口にだした。

「それ、見たことある。ラストやばいの」

「これは?」

「それはない」

互いの過去をすり合わせるような会話をして、結局【お笑い芸人】の棚で「アメトーク」のDVDを借りた。

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「何芸人にする?」

「みかんが好きなので、いいよ」

「そっちが好きなので、いいよ」

「「うーん、じゃあ運動神経悪い芸人!」」

同時に同じ言葉を口にして、嗜好と価値観が交錯して何気なく開いた自宅の扉。

ダラダラと自宅で「アメトーク」のDVDなんか眺めながら、ふたり、卵かけご飯でも貪りながら、ケンドーコバヤシのボケにわっと芸人らが沸くのと同じタイミングであはははと笑いながら、互いに冷えた麦茶でも注ぎ、手渡し合って「今度は何借りる?」なんてまた声と声が重なる。

おそらく模範的とは言い難い、キューピッドが「えー!?」というようなデート。
でもそれこそが私が理想かつ、1番愛おしいと思うデートであった。

イルミネーションもなければ、恋人の聖地でもない。
晴天ではなく、土砂降りで。部屋にはフローラルな香りではなく冷房で干したびしょぬれの上着の生温い匂いと雨の匂いが混ざりあう。
メルヘンチックとは程遠いけれども、そんな瞬間に私が子供心に、焦がれたデートへの憧れは少しずつ成仏する。悪霊にならなくて万々歳だ。

必死にデートをしようとするのではなくて、隣にいて時間を共有すればそれが自然にデートになる、それが理想かつ、最強のデートだ。