三年前、コロナ禍に突入したとき私は高校三年生だった。高校二年生の二月に最終日に期末テストが終わった翌日から、緊急事態宣言が発令されて学校が休みになった。次に学校に行ったときには、気づけば高3になって二か月が過ぎようとしていた。来年の今頃は、もう高校生ではないことに違和感を覚えるしかなかったし、自分が卒業後はどこで何をしているかなんて全く想像がつかなかった。

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毎年、当たり前のように開催されていた文化祭も体育祭も中止となった。スポーツコースに所属していた私にとって、親元を離れて寮生活を送りながら毎日遅くまで部活の練習に励んできたクラスメイトが、大きな大会に出場するチャンスを失い自暴自棄になっている姿を見て、新型コロナウイルスが他人事には思えなかった。今しかできないことを、あっさりと奪い取ってしまうウイルスは若者の未来までを変えてしまったといっても、おかしくはない。

そんな私は、緊急事態宣言によって学校が長期休暇だったことを初めは少し、ありがたく感じていた。ちょうど、そのころ毎日追われる英語の単語テストに追われることや、クラスで10人しかいない女子の狭い人間関係に息苦しくなって、学校を休みがちだった。

三者面談では出席日数が足りないこと、高二の最後の期末テストで赤点をとってしまうと進級が危ういことを担任の先生から忠告されていた。まさに、人生最大のピンチで絶望だった。留年してしまったら、進学どころか卒業もできない。ずっと叶えたかった夢に近づくどころか、遠のいてしまう。だけど、これ以上学校に行きたくない。今思うと、本当に自分自身と葛藤した残酷だったけれど、未知のウイルスの出現によって正直に生きることを選ぶことができた瞬間だったといえる。

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「見えないものと戦う」。

それが、どれだけ残酷なことなのか、今までの価値観を丸ごと変えてしまう期間だったと思う。高3のとき体育の授業なので、バレーの競技中に興奮して思わず声を荒げているクラスメイトが近くにいれば、さりげなく距離をとる自分がいた。

気づけば、ソーシャルディスタンスに慣れている自分に驚いていたけれど、そんな同級生との距離感を居心地よくも感じていた。もともと、文化祭でクラスごとに屋台などの出し物をするとき、「何がやりたいか」意見してリーダーになって、当日はバカ騒ぎするというタイプではなかった私にとって、コロナによって行事がなくなったことは不幸中の幸いだった。高校生活最後の青春を謳歌できないことに落胆しているクラスの皆のなかで、行事がなくなったことに、こっそり安心していた。

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無事に高3に進級することができた私は、今度は卒業に向けてコツコツ勉強を重ねることに集中するだけだった。しかし、ブライダルの専門学校に進学したいがコロナ禍でブライダル業界が打撃を受けているという問題でてきてしまったことに、目をそむけたくなった。

今、エッセイを投稿させていただくことで自分の経験を綴って発信していく楽しさや、文芸を学ぶ楽しさと気力をつけた私から、ずっと憧れていた業界で働きたいという夢を諦めるということは、また新しい自分と出会う夢を見つけることに繋がると、高三の私に言ってみたいものだ。

コロナに見舞われた高3の頃の自分からは、想像もつかない人生を送っていることに日々、新鮮さを覚えることは本当に楽しいと思う。

今までの経験から、ありのままの自分の気持ちを綴ることができるエッセイと出会えて、私の世界は広がる一方で、コロナ禍で想像を絶する現実を生き抜きながら、もっと逞しく、前向きに生きたい自分がいることに喜びを感じられるのだ。