時々、ドラマや映画のように自分のこれまでの人生を再生できないものかと黄昏れる瞬間がある。
いつだって、目の前の今を必死に生きてしまって、これまでの自分を忘れてしまうからだ。
だから時々立ち止まって、たまに、亡くなった人のことや、好きなことに熱中できていた頃の自分を思い出す。
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今を強く踏ん張れるように記したもの、Instagramが私の日記帳。
4年前、20歳。遡ってみると、仕事に熱中して、休日にはギターを弾いたり、趣味サークルで脚本を書いたり、好きなことに全力を注いでとてもキラキラしていた。
そんな過去の自分が、直視できない程眩しくて羨ましくも思う。
25歳の今、好きなことに熱中しきれない生温い水槽の中から抜け出せずにいる。
このエッセイもしかり、書きたいと思えば書くし、そう思わないなら別に書かない。
変わったことといえば、それだ。
物にも人にも、執着しなくなったのかもしれない。
色々ありすぎた。いや、全てのことを100%の力で頑張りすぎたか。あるいは努力は報われないと叩きのめされたか。
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最初の職場で悩んでいた時期に「20代前半は、仕事やプライベートで最も悩む、俺もそうだったよ」と当時の上司は言った。そして、当時の私の悩みは、「どうして素直に嘘をつかずにいることが自分の首を絞めているのだろう?素直に正しく生きていても、気づかないところで誰かを傷つけて、知らないところで誰かに憎まれ、裏切りだと言って簡単に人が離れていく。本音と建前を使い分けてずる賢くなければ生きづらい世の中で、どうすればわたしはわたしを消さずに、誰も傷つけずにいられる?なんで正しいは間違いで、間違いは正しいの?」
…あー、そんな時期もあったなと思い返す。
当時のわたしは本当にピュアだった。行間を読むのがあまりに下手だった。人が言う言葉を疑わずに全て信じてしまうし、それに正義感が強すぎた。自分に嘘をつくと、自分のことが嫌いになるからと、自分にも他人にも一切の嘘をつかず生きていた。
そりゃあ生きづらいだろうよ。と、当時の自分に会いに行って、お茶でも淹れて相談に乗ってやりたい。
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4年経った今が解決したかと聞かれたら
わからない。でも、前よりも大分楽に生きられていると感じる。
それは、人を見る目が変わったこと。
「この人はこういう人だ。」という偏見を捨てたことだ。
それはあくまで主観でしかない。
暴言を吐いたあの人は、本当は誰よりも深い悲しみを抱えているのかもしれないし
いつも明るくて「悩むことなんてあるの?」と疑われるわたしは過去に自殺未遂をしたことがある。
それでも今生きるを選んでいるのは目に見えるものだけが全てじゃないと、知ったから。そんな人が愛おしい、と思えたから。
仕事は、2回転職して、今はやりたいと思った遺品整理の職に就いた。色んな人の悩みや不安に寄り添う仕事だ。家の中を見ればどういう考え方か、何が大事だったか、どういう生活をしてきたのかがわかる。
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そこに思いを持って 仕事をすることに生きがいを感じている。天職かもしれないと自分でも思うし、最近はあの頃の熱が戻ってきたような日がたまにある。
そんな自分が嬉しくてたまに笑顔になる自分に気づくと少し愛おしい。
仕事のことを書いていた4年前の日記に「何年経っても、この上司とは一緒に仕事をしていて人として学ぶことが尽きない。仕事の本質が、そういうものであればと思う」と書いてあった。
仕事を教わるというのは、同時にその人を知るということ。
いくつになっても人好きなんだなとほっとした自分がいた。
変わったけれど、大事なところは変わってない。そういられた事実が嬉しくて心が熱くなって色んな気持ちが込み上げて溢れそうになった。
今は本音と建前を上手に使っているというより、本音を相手が受け入れやすいような言い方で伝えるという自己流で大分生きやすくなってしまっている。人って本当に面白い。
恋愛の方は、背伸びも我慢もすることが減った。
相手に期待をするのをやめたからだと思う。
今お付き合いしている彼は4年前の私なら、絶対付き合うことなかったような彼だ。
「好き」は言わない。それでも満たされるのは、下り坂で前を歩いてくれたり、体調を崩すと仕事終わりでもお見舞いに来てくれるところ、行動で「愛されてるな」と感じさせてくれるから。
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わたしはいつからかわからないが自分のためだけには生きられないらしい。
大好きな人達が幸せで、「ありがとう」が生きる糧になっている。そんな自分が好きだから、結局は自分のためなのだけれど…(笑)
これからは今以上に、仕事で関わる人、会社の仲間、親友、彼氏…わたしに関わる全ての人が笑顔になるような人を目指して生きていこうと心に決めている。
しんどい時、弱くなりそうな時、そんなときこそ、くいっと頬っぺたを上げて歩くんだ。
いつだって、自分を信じて。