マッチングアプリのプロフィール欄に「趣味:カフェ巡り」と書いていたおかげで、コーヒーの香りで思い出すのは、顔も名前も何を話したかも覚えていない男の人たち。

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よく覚えているのは、初対面でお付き合いの申し出をしてきた年下の子。当時私は26歳で、大学院1年目の彼は私からすると「子」とつい呼んでしまいたくなる。告白の言葉は忘れてしまったが、別れ際改札の前で、「付き合ってくれませんか」そんなようなことを言われたときの喉の渇きとめまい、密かな苛立ちと高揚は覚えている。

私はいわゆる「二度見知り」。初対面ではそこそこ上手にコミュニケーションを取れるが、2回目以降になると途端に距離の測り方がわからなくなる。初対面で「面白そうな人」と高評価をいただく私は、2回目には「あれ、思ってたよりつまらないな」になっているのだ。
マッチングアプリ経由で実際に会う男の人とは、2回か3回会うとぱたりと連絡が取れなくなる。

初めましてのその日に告白してくれた彼に、初日の私の印象だけみて好意を寄せてもらうのが申し訳なかった。次に会うときに「思っていたのと違う」と思われるのがこわかった。たった数時間、話の内容もコーヒーの味も覚えていない時間で、私の何がわかったというのだ、という苛立ちも少しだけあった。

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あのとき付き合っていたらどうなっていただろうと考えることがある。

同級生のLINEアカウントの名前が見知らぬ苗字になっていることが増えた。私も自分の名前の前に、馴染まない彼の苗字を入力する日があったのだろうか。 隣には彼がスマホで撮影した私の姿が映る写真をアイコンにして。

29になった今でもその日は来ないのだが。

結婚するならほどよい田舎の地元がよかった。東京の大学を卒業したが、実家から通える会社に就職した。田舎住みは結婚が早い。同級生の結婚ラッシュにともない、自然に私の人生の選択肢にも「結婚」の2文字が現れる。

職場や行動範囲には出会いがなかったので、友人の勧めでマッチングアプリを入れた。「二度見知り」病のせいで、マッチングアプリからの恋愛が全く向いてないことはすぐに気づいた。

そこにとどめを刺すかのように起こった「初対面告白大事件」。
「あーなんか、恋愛ってめんどくさいかもしれない」
恋愛とは距離を置くことを決めると、結婚しないなら地元にいなくてもよいことに気付く。

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都内の会社に転職し、都内に近いアパートで一人暮らしを始めた。一人暮らしはすべてが自分のペースになる。それが心地よくて、誰かと結婚して生活を共にしたい気持ちが薄れていった。

心から好きだったわけではなく、所詮「人に見せる用の趣味」の位置付けだったカフェ巡りだが、惰性で続けているうちに本当の趣味になっていた。

コーヒーはもともと好きだ。香りがよいし、味もよい。真っ黒な見た目もよい。ため息をついたらすべて吸い込んでくれそうで、それでいて何も寄せ付けなさそうな真っ黒が。

どこ産の豆だとか、淹れ方がどうのとか、細かいことはわからないけれど、「好み」か、それとも「とても好み」かの2択はある。「とても好み」のコーヒーを淹れるカフェを見つけたときは、誰かに伝えたくなる。

マッチングアプリをインストールして、趣味の欄に「カフェ巡り」と書いて。「おすすめのお店ありますか?」とメッセージを寄越す男の人にお店の名前を伝えるのだ。そうしたくなる。

でもそうすることはない。コーヒーの味よりも、素性もよく知らない男の人の話に意識を向けなくてはならない時間より、ひとりでカウンター席に座り、だれにも阻害されずにコーヒーの香りや味を感じる時間のほうが好きだから。

コーヒーカップと誰かの顔を交互に見比べて言葉を交わしても、コーヒーの味もその人のこともよくわからなかった。ひとりでコーヒーを飲めば、喉越しや香ばしい香りがよくわかる。

私の恋はコーヒーから始まることはなかったが、大事にしたい趣味ができた。コーヒーを口実に出会う誰かよりも、コーヒーのささやかな味の違いを楽しめる自分自身をしあわせにしたいのだと思う。

コーヒーの味だけ、私が紡げなかった恋の物語がある。