「ホットコーヒーひとつください」
「お砂糖やミルクはいかがなさいますか?」
「なしでお願いします」

これがわたしの定番の会話。

いまとなってはコーヒーを普通に注文するが、飲めるようになったのは社会人になってからだ。ましてやそれをブラックで飲むなんて、スタバに行ってもフラペチーノしか頼めなかった大学生の頃のわたしが聞いたら、すごくびっくりするだろう。

コーヒーとの出逢いは、母がきっかけだった。

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小さい頃、家で母がコーヒーをよく淹れて飲んでいた。香りからもう苦いとわかるから、わたしは顔を苦くして「くさい!!」といのもとから逃げるように違う部屋へこもったものだ。

大人になり、社会人になった頃。もうコーヒーの香りには慣れていた。母とスタバに行くと、わたしは相変わらずフラペチーノを頼み、母は普通のコーヒーに砂糖とミルクを入れて飲むのが鉄板だった。

ずっとその飲み方をしているから、気持ちはまだまだ子供なわたしは、「もしかしたら美味しいのかもしれない」という好奇心に駆られ、一口ちょうだいと口に運ぶ…。が、「やっぱり苦い!薄い!結果、美味しくない!」という結論に至った。小さい頃からの思い込みを変えるのは、まだまだ難しかった。

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ある日、喫茶店に母と入った。わたしは紅茶を頼み、母はいつものようにコーヒーを注文。コーヒーが運ばれてきて、母がいつものようにミルクと砂糖を入れようとする。そこでわたしはふとひらめく。

ブラックで飲んでみたら、美味しいのかもしれない、と。まだ何にも染まっていない、カップの中に入っている真っ暗な液体を一口含んでみる。

「美味しいかもしれない…!!!」

衝撃だった。ミルクや砂糖が入った状態よりも、何も入っていないときの方が美味しく感じるなんて。どういうことだ?と頭の中ではてなマークが並んでいたけど、ミルクが真っ暗なコーヒーと混ざり合うときのようにじわじわとその真相が浮かんでくる。

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わたしはコーヒー味のアイスだったり、コーヒー牛乳並みに甘い飲み物は好きで、最初からまったくコーヒーが嫌いというわけではなかった。だから、コーヒーも飲めるんじゃないかという希望を持つ。でも、飲めなかった。

それは、ミルクと砂糖を入れた状態が、わたしにとってすごく中途半端な味になってしまっていたからだ。苦みが苦手なところに、それらを入れてしまうとコーヒー本来の味が薄まってしまい、舌の上で苦みだけを残して喉の奥に流れてしまう、そんな感覚がしていた。

これはあくまでわたしの見解であって、必ずしもブラックコーヒーで楽しむのが良いというわけではなく、コーヒーを美味しいと思えた方法がブラックで飲むという形だっただけ。

そして、まさかの展開で飲めることを発見したわたしは、それから少しずつコーヒーを飲むようになり、いまでは自分の家で淹れるようになった。酸味が少ないタイプの味が好きという好みまで把握。カフェに行ったときはオリジナルのブレンドを飲んでみたり、店員さんにおすすめを聞いてみてそれを飲んでみたりと、自分なりの楽しみ方ができるようになった。

だけど、一向に詳しくはなれない。それもきっとわからないほうが楽しいからだと思う。知識を入れてこういうものとわかって飲むより、何も知らない状態で想像して楽しんだ方がわたしには合っているのだ。もちろん、好きだからこそ、知ったうえで飲みたいという人もいるだろうし、楽しみ方は人それそれでいい。

離れて住む母に「これ美味しかったから」とコーヒーを送ることがある。わたしから送っているのも面白い話だ。狙っていたわけではないだろうけど、出逢わせてくれた母には感謝している。それも、コーヒーを通じて楽しめるものがわかったからかもしれない。