私は小さい頃から人前に出るのが苦手な人間だ。なるべく目立ちたくないし、そっとしておかれたいのに年齢の割に背の高く集合写真でも頭ひとつ分ほど大きな子供だったので何もしなくてもとにかく目立った。

大きな図体の割に蚊の鳴くような声しか出さないものだから授業で指名された時は「もっとはきはき喋りなさい。なんて言っているかみんなも先生も聞き取れないよ」と注意され、厳しい先生だと何度も音読をやり直しさせられたりする事も少なくなかった。

なにか挽回できるものがあれば救われたのかもしれないが、かけっこが早いわけでもなく勉強が人より出来るわけでもない、幼い私の心は毎日疲れてすり減って、摩耗していた気がする。

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そんな学生時代に休んでしまいたいほど嫌だったのが体育と音楽のテストだ。

クラスのみんなが見ている前で1人だけ前に出て歌を歌う事や出来ない事が分かりきっている逆上がりを披露しなければならないなんて嫌すぎる。いっそのこと風邪でもひいてテストを休みたいと考え、天の神さまに「音楽テストの日は熱が出ますように」と願い続け、冬であればわざと少し薄着で過ごすなどと明後日の方向の努力はしたもののそんな願望を神さまが聞き入れてくれる事はなく、いつも泣きそうになりながらテストに臨んでいた。(子供ながらにプライドがあるからどんなに失敗しても実際に泣いたりはしなかったが)

体育のテストはまだいい。鉄棒やマットは一瞬で終わるし、演技中は人が見ている事が自分で分かりにくい。なんなら体育の苦手な子も一定数いるから他の人がテストを受けている間、「出来ないの私だけじゃない……良かった」となぜか仲間意識みたいなものを感じる事が出来る。みんなが少しガヤガヤしていても先生だって注意をしたりする事は少ない。

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ただ音楽のテストは違う。まず「騒いだら声や音が聞こえないでしょう。静かに!」と私語は厳禁。友達同士で喋ってはいけないとなると、おのずと発表者に目が行く。みんなの注目を浴びるのが恥ずかしいので教科書で顔を隠そうとすると「それだと声が通らないでしょう、顔を上げて」と注意され、音を外さないように控えめのボリュームで歌うと「ピアノの音にまけてるよ、もう一度最初からやり直し」とダメ出しの嵐。

リコーダーの場合は2人1組になって行うので、「自分が間違ったらペアの人まで怒られちゃう……」とまた別角度からのプレッシャーを感じ、私たちを担当されていた先生がベテランの方だったからなのか、指導は割と厳しくテストの時間のあのピンと張り詰めた空気感は大人になった今でもなぜか忘れられないし、人生で緊張した瞬間ベスト3には入ってくる。

その後も年齢を重ね、高校入試や就職活動の際の面接、仕事で初めて電話を受ける時などそれなりに緊張した場面があったものの、あの時ほどどうにかして回避したい、と思ったものは考えてみるとないかもしれない。

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大人になるにつれ大胆さというか周りを気にしなくなってきたせいもあるが、クラスメイトや先生といった「学校の教室」が社会の全てだった子供の頃とは比較できないほど世界が広くなっていった事でちょっとしたミスや失敗も引きずらなくて良くなったんではないかと思う。

今でも正直初めていく場所は得意ではないし人前での発表も進んでしたいとは思えないけれど、「あの日の音楽室の空気よりは怖くないかもしれないな」と思うと少しだけ肩の力が抜けるのだ。厳しくて鬼のようだと思っていた担当の先生が「社会に出たら人前に立つ事もたくさんあるんだから、こんな事くらいで文句を言うんじゃありません」とテストのやり方に不平を漏らすクラスメイトに注意している姿を覚えている。

大人になった今の私がもう一度歌のテストを受けたらどうなるだろう。教科書で顔を隠すなんて悪あがきをせずに堂々と歌えるようになるにはまだもう少し時間がかかりそうだ。