今年私は2枚目の遺書を書いた。
1枚は愛する夫へ。
1枚は愛する娘へ。
仕事で鬱になり、嫌な思いをさせられた人の名前をひたすら書いた前回の遺書とは違う。
書いていて穏やかな気持ちになれる遺書だった。

どうして遺書なんか書いたのか。
きっかけはとある雑誌の影響だった。

働く女性向けの雑誌を読んでいた際、とてつもなくインパクトのある記事に出合った。
ゴールデン番組の司会をするような有名お笑い芸人が、仕事の傍ら大学に進学し遺書の研究をしている……といったような内容だった。

私が死んだら娘はどうなるんだろう。
きれいさっぱり死ねるならまだいい。
将来寝たきりになり娘や夫の世話が必要な生活になったら?
そのせいで夫や娘の人生に不利益が出たら?
今まで考えたこともなかった自分の「老後」が浮かんでくる。
残された家族のためにできることはやろうと思った結果だった。

◎          ◎

「寝たきり大黒柱」という人たちがいるらしい。
たくさんの年金がもらえるから生かしておくけど、本人は病院で管につながれたまま。生きているか死んでいるかわからず、家族もお見舞いにこない。1人亡くなってもまた次の人が絶えず運ばれてくる。
清掃の仕事をしている母が話す病院や老人ホームの話は生々しい。
老人ホームの食事だってタダじゃないのに、老人はほとんどご飯を食べずに捨てている。ひとり親にあげれば子供がありがたく食べるのに。母の話がどこまで本当かわからない。

でもお金で役に立っているならまだまし。人間は死期が近くなるとわがままになる。
私の義祖父がそうだった。
1人じゃお風呂に入れないけど、女性のヘルパーさんは嫌だから親戚の○○を呼ぶ。
産後間もなく、寝ていない私を呼び出す。その次は私の母をここに来させろ。
いい加減にしろ。そう言いたい気分だった。 

死ぬまで人間だから、裸を見られるのは嫌だとか、会いたい人がいるとかはわかる。
でもそれは未来ある人を困らせる言い訳にはならない。
安い給料で毎日毎日知らない老人に振り回される介護士さんが気の毒だ。
ニュースで介護士による老人への虐待を聞くたびに、被害者よりも加害者に同情してしまう自分がいる。

◎          ◎

決して介護職の方々を悪く言う意図はない。
自分もいつかはお世話になるかもしれないから、声を上げ、彼らの給料や職場環境を良くしたい。
ただそれ以上に、人様に迷惑をかけずに死にたい。

私はハンバーガーやチョコレートが大好きだし、年金も75歳からしかもらえず死ぬまで働く時代だから、きっとどこかで体の方がダメになってぽっくり逝けると信じたい。
もしかしたら日本の医療や介護、年金が先に限界を迎え安楽死制度ができるかもしれない。

若くして何かあった場合はまだ使える臓器は、必要としている人へ。
お金は全額娘へ。
延命治療は絶対にしないように。
生前伝えられなくても後悔しないように、最大の感謝と優しい言葉で埋め尽くして。

たった紙切れ1枚だけど、この遺書が夫と娘を救ってくれますように。