小学生の頃、好きな男の子がいた。目が細くて、少しクールで、サッカーの似合う、色白の同級生。お互いの親が知っているくらい、私からのLOVEアピールはすごかった。今思えば恥ずかしくなるくらい。そのときは夢中で好きだった。
溶かしたチョコを型に入れただけのものから始まり、トリュフチョコ、チョコレートケーキ、ティラミス、生チョコなど、年齢を重ねるにつれ、少しづつパワーアップしていったバレンタイン。1番強く思い出に残っているのはハート形のケーキだ。
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母も毎年楽しみにしていたバレンタインのプレゼントづくり。生協の広告を見ながら、「このハートのスポンジケーキが可愛いんじゃない?」と指さした。おそらく、4〜5号くらいのスポンジケーキ。たぶん私も「いいね」と言ったのだろう。頼んだ翌週、スポンジケーキが届いた。
まさか、本当に頼んでいるなんて思わず、コーティング用のチョコレートや、飾りつけ用のカラフルなハートのかわいいのやカラースプレー、アラザン、カラフルな丸いチョコレートなどなど、カゴいっぱいに買った。とりあえず使えそうなものは全て。
私より張り切っていたのではないかと思えるくらい、母が楽しそうだった。どんなデザインにしようかなと考えていると、「自分の名前と相手の名前の間にハートとかいいじゃん」と言ってきた。「それは恥ずかしすぎるでしょ」と答えると、「バレンタインくらいしかそういうことできないよ」と言ってくる。想像してみると、正直、見た目のインパクトが強すぎる。そして、恥ずかしい気持ちとともに、「ハートのケーキを切るんだから、真ん中で切られると二人の間が切れちゃうじゃん」みたいなことを考えていた気がする。名前の間にハートを入れる入れないのやり取りを何度か繰り返し、私なりの羞恥心とも戦った結果、助言通りのメインの飾りつけになった。今思うと、すごく若いし、なにも怖いものなしの小学生だったと思う。恐ろしい。
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そんな大きなケーキを冷蔵庫に入れ、姉妹にも父にも見られるのは恥ずかしかったし、大きすぎるケーキは学校に持って行って渡すなんてことが出来なかった。学校では小さな義理チョコを配るも、彼にはないので周りが冷やかす。前述したように、互いの親公認だったので、「今日、家に持っていくからいてね」と彼に言った。
彼の家に行くと、先客が居た。彼女もまた、彼にバレンタインのチョコレートを渡しに来たのだった。女子同士、青い火花を散らしながら順番を待った。無事に渡せてほっとするも、あんなに大きいケーキ困るだろうなと思った。渡したあとで気がつくくらい、バレンタインに浮かれていた。
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次の日、「食べた、ありがとう、美味しかった」と手紙をくれた。それだけで満足だったが、ホワイトデーの日、彼がうちにお返しを持ってきて、そのまま我が家で両家で食事をするという不思議な食卓を囲んだ。彼がくれるお返しは、毎年サンリオキャラクターのうちのどれかで、今ではこのかわいい記憶を思い出す鍵となっているし、ときめきを与えてくれる存在になっている。
想い合っている相手に、とびっきりの甘い思いとデザートを送っていた幼い頃のバレンタイン。大人になった今は、そんな情熱的な思いをぶつけることはないが、1つの小さな箱に、大切に想いを込めて、渡すことが増えた。バレンタインの季節になるとよく思い出す。こんな温かい大事な気持ちを抱きしめて忘れずに生きていきたい。