私は、「さよなら」という言葉が時々怖い。

例えば今こうして隣で話している人も、ほんのふとしたきっかけで、二度と会うことはなくなるかもしれない。偶然私とあなたの人生が重なっただけで、明日にはもしかしたら会えなくなるのかもしれない。

私はいつも、別れを表すその言葉が怖かった。

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過去に、さよならを言えない人がいた。それは、小学校からの親友だった。
お互い別々の仲がいい子がいても、気が付けば私たちは一緒に過ごすことが多かった。家が近いわけでもないのに、何かがあるたびにお互いの家を行き来した。

夜通しカラオケをした高校時代や、大学時代家のことで悲しいことがあった時、「学校なんて行かなくていいから」と一緒に涙を流してくれたこともあった。彼女はとても優しかったのだ。

私は彼女のことを小学生で同じクラスになったとき、なぜだか「もっと知りたい」と思った記憶がある。あの子はどんな子なんだろう?おとなしそうに見えるけれど、本当は面白いことが大好きなのかもしれない。話が合うのかもしれない。

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思い切って声をかけたのはほぼ同時だったと思う。気が付けば同じことに笑って、同じ季節を過ごしていた。親に私よりも様々なことに早く挑戦させてもらっていた彼女からは、たくさん刺激を受けた。ガラケーを教えてもらったのも彼女だし、小学生にして隣町のショッピングモールまで自転車でいけちゃうんだと気が付かせてくれたのも彼女だった。

私たちは自転車でどこまでも遊びに行けるようになったし、アメーバピグやうごメモなど、当時のSNSの最先端もなんでも手を出していた。世界はこんなにも広いのだと教えてくれた彼女は、ほんのふとしたきっかけでめっきり会うことが無くなってしまった。そう、さよならも言わずに。

社会人になって隣の県に引っ越した彼女の最後のLineは、「この仕事をし続けていると、どんどん何かがダメになっていく気がする」という淡泊な一つの吹き出しだった。  
その一言にすら、私自身も優しい言葉をかけてあげられる余裕がなくなっていた。

かろうじて私から送った、「それでも仕事は行けているの?」に対して、彼女は永遠に既読をつけてこない。
私と彼女はもう一五年以上の仲になろうとしていたが、少しずつ少しずつ何かがずれてきたのかもしれない。そう思った。

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月日が流れ、仕事で忙殺される日々に時々思い出すのは彼女の消息だった。
唯一繋がっているinstgramのストーリーで、その後転職をし、地元に帰ってきているとの情報を受けた。そして今はどこで働いているのかも知った。だけれど私は、忙しさにかまけて、Lineなんていう楽な手段に頼って、私は人と本気で向き合うことを忘れていた。会う以外に相手を知る手段はない。そう分かっていても、コミュニケーションを後回しにしていた。

そしてこのエッセイの投稿を見つけたときに、私は彼女のことが引っ掛かった。さよならも言えていない。だけど私たちはずっと一緒にいたのに。こんなふとしたきっかけで、理由もなく…。考えるだけでもやもやした。

そっか、会わないと。彼女に会って話さないと。そう思うきっかけになった。
そして先日、私は彼女が今働いているアパレルショップに足を運んだ。
仕事中の彼女とはほんの一瞬しか話せなかったけれど、私を見つけた瞬間、彼女は目を見開いて何度も「いろいろあってさ、ごめんね」を繰り返して私の右手を触っていた。

「仕事終わったら連絡するね、今日するから」
そう彼女は言ってくれた。

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二年ぶりに再会した彼女は、あの時のままだった。 
「昨日ね、私もももりんに連絡しようとおもったんだよ」

その日は雨で、本来ならわざわざ電車に乗って街に繰り出そうなんて思わないはずなのに、私は今日を逃したら永遠に後悔すると足を運んだのだった。

こんな奇跡あるものなのか。このエッセイの応募に気が付かなかったら、私は永遠に彼女からの連絡をただ待っているだけだったと思う。

もう一度会いたい人がいるのなら、さよならを言うためにも、さいごはちゃんと別れを伝えようと決意した。もしかしたらそれはさよならではなく、「これから」に続くこともあるのだともう気が付いたから。