いま、わたしは料理が好き。
二年前のわたしが聞いたら驚くだろう。わたしはいま、ほとんど毎日夕飯を作っている。
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一年前、わたしに同居人ができた。
バイト先で知り合った、わたしには勿体無いくらいの美しい子。
モデル体型で、けれどご飯をたくさん食べる子。
好きな食べ物はイカで、嫌いな食べ物は椎茸。
和食が好きで、中華が嫌い。
料理は不得意で、その代わり洗濯とゴミの分別をしてくれる。
そんな同居人と楽しく食卓を囲むため、今日も夕飯を作るのだ。
どちらかといえばわたしは料理が好きではなかった。
正確にいえば、食べるのが専門であり、作るのはできれば遠慮したいと思っていたくらいだ。
そんなわたしが初めて料理を作ったのは19歳の春のことだった。
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わたしは19歳の冬、受験のために上京していた。
冬期講習と入試のため中央線沿いの静かな街に部屋を借りた。
初めの頃は忙しさとストレスでほとんどサラダしか食べなかった。
けれど今度は栄養不足で受験に集中できなくなった。
コンビニで買おうにも気力が出ない。
ご飯を食べないとまるで自分が解けていくように感じた。
スルスルと感覚が解けていくのだ。
そんなときご飯を作ってくれたひとがいた。
包丁の持ち方、フライパンを使うこと、お米を研ぐこと、お皿を洗うこと。
ご飯を作るということをそのひとが教えてくれた。
そのひとは教えてくれた。
「ちゃんと作られたご飯には命を作る力がある」
わたしはどちらかといえば小さい頃からたくさん食べ、好き嫌いもほとんどない。
わたしの命はおばあちゃんや母が作ってくれたご飯で作られてきた。
この命を形作るもの。
それを作り出す料理という営み。
わたしが料理というものに初めて向き合った瞬間だった。
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それから余裕のあるときは自炊をするようになった。
最初は人参が固かったり、小麦粉が生焼けだったり。けれどそれもいまはなくなった。
包丁で手を切ることもあるし、スライサーはいまでも怖くて使えない。
得意な料理もいくつかある。いまとなっては料理が好きになった。
けれど料理をする前にわたしは、あの19歳の春の夜を、料理を教えてくれるあのひとの姿を思い出す。
「ゆっくり落ち着いて、一緒に作ろう」
そういってくれる思い出と今日も一緒に作っている。
わたしは料理することに慣れてきてからいいことに気づいた。
それは、料理をしていると無駄なことを考えずに済むということ。
イライラしていることや悲しかったことや不安なこと。そういうことでバラバラになってしまった心を元に戻すような感覚さえある。
誰にも邪魔されず、ただ今日食べ尽くしてしまう夕飯を作る。
そうして集中できる時間というものがとても心地よい。
自分の中身を整理整頓するにはちょうどいいのだ。
野菜をリズミカルに刻む感覚。コトコトとスープを煮込む音。醤油・酒・砂糖の煮込まれていく匂い。
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彩りを気にした食卓。薄い味付けは母譲りのような気がする。
料理をするということを五感で感じる、この時間は贅沢だ。
この家の料理番はわたし。
わたしの身体も、同居人の身体も、わたしの作るご飯でできている。
わたしは今日も夕飯を作っている。
世界で一番贅沢な時間を感じながら。
あのひとの思い出と一緒に。