世の方々は、朝どのようにアラームをセットしておくのだろう。きっと、そのやり方は百人百様だと思う。

ちなみに私のiPhoneのアラームは、まず7時に1発目が鳴り、その後は7時30分、7時50分、8時30分、9時と続いていく。さらに言うとスヌーズ機能は全てONになっているため、上記の時間にプラスして、9分間隔でアラームが鳴り響く。ただ、実際にベッドから起き上がるのはおおよそ9時前後。最初にアラームが鳴り始めてから2時間も経過している。これが私の日常だ。

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「何で2時間も前からアラーム鳴らすの?」「9時に起きるなら9時にセットすればいいじゃん」と、隣で寝ている夫にはよく訝しがられる。違うのだ。気持ちとしては、7時に起きたいと思っているのだ。ただ、時間が決められた用事や仕事が午前中に入っていないと、なかなか身体に強制力が働かない。

会社員時代は◯時までに出社しなければいけないという強制力が毎日働いていたから、そこまで苦労せずにスッと早起きすることができていた。ただ、個人で仕事をするようになって以来、自分でも驚くほどに朝に対する耐性が弱まってしまった。

抱えているタスクを問題なくこなすことができているのであれば、朝9時起きでも特段問題はないのかもしれないけれど、けたたましいアラームが鳴り響くなかでうだうだとベッドにへばりついている朝の時間はやっぱりもったいないなと思う。体感だと午後よりも午前中のほうが諸々のパフォーマンスの調子が良いから、なおさら午前はあまり無駄にしたくない時間だ。

と、常々思ってはいるのに、アラームの音に気がついていてもなかなか起き上がれない朝。半分覚醒してはいるものの2度寝3度寝をだらだらと繰り返してしまう朝。何とかベッドから這い出ることができても、「あーあ、やっぱり今日も早起きできなかった」と怠けた自分に対する小さな失望のせいでいまいちスッキリした気分になれない朝。

そうやって、私の1日は何とも言えないぬるっとした始まり方をしていたのだが、そんな日常のリズムに最近は大きな変化が起きている。

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先日のエッセイ(「微風に揺れる洗濯物が与えるひっそりとした幸福感は、1/fゆらぎ」)で、引っ越した話を少し書いた。
この引越しを境にして、自分でも驚くほどに早起きできるようになった。すごいときだと、アラームが鳴り出すよりずっと前の6時くらいにぱちんと目が覚めてしまう。睡眠状態からは脱したのにずっと布団にくるまっている……なんていうこともほとんどなく、難なく床に降り立つことができている。

新しい家は最上階の角部屋で、窓が多い。日当たりも良くて、朝起きたらいの一番にカーテンを開けたくなるような家だ。窓が大きいせいか、遥か遠くまで広々と続いている空に思わず圧倒されてしまう。よく晴れた日は眼前に広がる一面の青色が眩しくて、朝からとびきり清々しい気持ちに満たされる。
窓のすぐ外には太い電柱が立っていて、「もし地震が起きてあの電柱がこの部屋に向かって倒れてきたらどうしよう」なんていう想像をして震えることもあるけれど、電柱の先端ではよく鳥がひと休みしている。「止まり木だ」と思うと、無機質な灰色の電柱に愛らしささえ覚えてしまう。鳥の観察は、ちょっとした日々の愉しみだ。

そんな風に調子良く朝を迎えられるようになったことで、1日全体の時間の流れ方も以前と変わったような気がする。朝早起きすれば、当然夜眠くなる時間も早くなる。就寝時間が前倒しされると、翌朝起きる時間も同様に前倒しされる。早寝早起きってまさに生活を正すサイクルなんだな、と三十路手前にして改めて実感している最中だ。小学生の頃から周囲の大人に散々教えられたことのはずなのに。

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アラームを2時間鳴らしっぱなしにせずとも、ベッドから勝手に起き上がってくれる身体。
1日のスタートを気持ち良く切れることがたまらなく嬉しくて、基本的に朝から私の機嫌は良い。少し前まで、あんなにぬるっともやっとしていたのに。
サウナに行ったことは一度もないから「ととのう」がどういう状態なのかいまいちピンと来ないけれど、サウナに行かずとも、最近の私は結構ととのっているのではないかと思う。

それもこれもすべて、環境の変化のおかげなのだろう。
新鮮さがもたらしているものなのであれば、新鮮ではなくなったら、この住み心地が当たり前になっていったら、以前の「ととのっていない毎日」に逆戻りしてしまうのだろうか。できればそれは避けたいところだ。
そのためにも、身体に定着し始めた早寝早起きスタイルをこのまま維持し、空の青さを窓越しに胸いっぱい吸い込み、止まり木に佇む鳥をじっと見つめ続けたい。新しいインテリアとして仲間入りした観葉植物への水やりも怠らず(私的には解せないのだが、夫曰く「まりちゃんは植物を枯らす女」とのこと)、近々綺麗な花を買って部屋の隅に飾ったりもしてみたい。

そうやって、日々の暮らしを慈しむようなひとになることが、私の密やかな目標だ。