ずっと恋をしている。21年生きてきたなかで、想像の魔法がかかった物語にその半分くらい恋をしてきた。私にとって読書に没頭しているときには、そんな感覚に包まれる。衝動的で、甘くて、どこか儚くて。いま足元にある綺麗な言葉をかき集めると、そんな表現が似合いそうだ。

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恋愛小説と出逢ったのは、たしか小学校高学年のときだったと思う。教室に着くと朝のホームルームが始まるまえ、机のなかの道具箱に窮屈に押し込んだ本を開く。それが唯一の学校での居場所だったのかもしれないと、いまでは思う。

もちろん友達と、クラスで一番かっこいい男の子の話や今流行っているアイドルのことを話すことも好きだった。それでも、やはり読書で知る世界が私には刺激的で、斬新で仕方なかった。物語の世界にのめりこめば、のめりこむほど何でもない日常が彩られていく。その感覚に私は恋をしていたし、そうした物語に恋をしていた。今も、もちろん恋をしている。

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恋愛小説に恋している、というと少しややこしい気もする。でも、実際に恋愛小説のなかで生きている登場人物に共感し、自分と同じように恋する気持ちを抱いているとわかったとき、気づけば現実の世界を居留守にしているのだ。

今度は、物語を創ってみたい。想像と創造の世界に恋した私が、文章を生み出すことへエネルギーを放っている。それは、やはり読書という壮大な世界に導かれ、恋する感覚を掴んだからである。そして、恋愛ドラマを観て自分のなかで物語をもっともっと膨らませることも好きなのだ。

もちろん実際に誰かに恋をして、気持ちを伝えてだなんて大人でも子供でもなかなかできることではない。「好きな人が自分に振り向いてくれたら」「もし、二人きりで遠くの世界に飛んでいけたら」「高校時代は良かった。あの頃は毎日同じ学校に行くのは億劫だったけれど、毎日好きな人に会えることは今では奇跡だったのかもしれない」こんなタラレバで、小説を書くことができたらいいな。

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そんな私のなかで芽生えた小さな願望が、小説を書く原動力に繋がっている。ただ素人で大学の課題で書くという世界を辿っているけれど、「読んでみたい」と言ってくれる人のためにも頑張ろうと思っているところだ。誰かに自分のなかで芽生えた小さくも、小さくも壮大でエネルギッシュな世界観を放つときが、いま訪れようとしている。

そして恋愛ドラマは、私をかけがえのない時間に導いてくれる。その時間に恋しているから私は夢を与えてくれていた。その「夢」は、自分の知らない世界で果てしなく紡がれていく物語に存在していて、それに導かれていけばいくほど恋を知っていくのだと思う。

小説やドラマのなかでは、自分の人生とは代えがたいストーリーがあって、そこに自分がいるとしたら、どれだけ人生を進めて、果てしない世界の断片にたどり着けるのだろうか。そう思わせてくれるのは、小説やドラマといった果てしないエンターテイメントだと私は信じている。その世界に恋することができたから、今の私がある。

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ちょっぴり大げさかもしれないけれど、それがこの先の人生を形作っていくのだと信じて突き進むこと。それが今の私にとっての救いであり、かすかな光だ。その光に導かれていくことで、また新たな恋と出逢えるかもしれない。

それだけでワクワク、心と身体が一体化したように踊り始められるくらいの衝動が私を包み込んでいく。その感覚が自分を潤すものであって、果てしない人生をもゆっくりであるけれど突き進んでいくことができるのかもしれない。

そういう信念が、「なんでもできる」というエネルギーに変わったとき、この恋の豊かさを知るはずだ。そうやって恋のルーツを紐解いていくと、輝かしい未来が見えてくる。それは果てしなくもウキウキワクワクと、石橋をたたいて渡る自分。どちらも微笑ましく思えてくるのだ。