先日、読み返そうと思った本が家にないことに気がついた。
実家も探してみたが、見つからない。
そうだった、あの本は元彼に貸したままだった。

2年前に別れた元彼のことを久しぶりに思い出した。本を取り返したいけれど、今更連絡したくない。未練もなければ、連絡して未練があると相手方に思われることも最悪である。しかし、あの本は私が大好きな作者さんの本で最初に気になって自分で買った本なのでかなり思い入れがある。悩ましい。

別れ方が嫌な感じだったということも連絡したくない要因の一つだった。

“嫌な感じな別れ方”というのは、交際期間の最後1ヶ月間のこと。音信不通で何度LINEしようが無視、ようやくLINEが来たと思ったら、「連絡する気が起きませんでした」とあっけなく別れを告げられたのだ。正直者なのは良いことだが、ストレートすぎる一言にグサリと心を刺された。彼にとって私は気遣うほどの相手ではなかったのだ。

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「本を返してほしい」と連絡しようか迷った末に渋々元彼のLINEを開いた。真っ先に目に入ったのは、別れを告げられた彼からの最後のLINEだった。ぎゅっと心臓がまれたようにあの頃辛かった感情だけが蘇る。
そこからどんどん下スクロールで会話を遡る。
まだ彼の心が冷める前まで会話を遡った。今となっては別れた時の傷つけられた苦い記憶だけが残っているが、良い思い出もたくさんあったことをじんわり思い出してきた。思い出に罪はないのだ。

会話を遡るうちにふと、「あの頃の私、キラキラしてちょっと素敵だったな」と思った。恋に未練はないが、久しぶりの恋にウキウキしていたあの頃の私はもういないのだと思うと少し寂しい。今は愛する夫が隣にいて、私は愛を知った落ち着いたいい女だけれど、あの時の私も良かったな、と。
元彼と出会った当時、私は新卒2年目で仕事一筋だった。生活の中心は仕事で、良い仕事をするために私は存在した。そんな仕事だけの無色だった私の人生が、彼と出会い、彼を追いかけることで、たった一瞬にして色鮮やかなものになった。

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まず、デート用の服を買いに行った。今までは“仕事で着られそうな服”というのが服選びの基準だったが、「デートで自分が魅力的に見える服はどれだろう」と考えるようになったので、ショッピングが楽しくなった。1着2万円のスカートも彼との将来をゲットするための投資なので、日割計算したら安いな、と訳のわからない計算をした。
1日中仕事で寝る暇がない日もあったけれど、どうしてもデートで会う時に今の気持ちを手紙にして渡したくて、仕事の合間にこっそりトイレの中でラブレターをいた。

そして、仕事終わりの時間帯にデートの予定を組み、デートに行くために急ピッチで仕事を終わらせた。恋のためならいくらでもパワーが漲ったし、難しい局面に遭遇してもどうすれば作業を巻けるかフル回転で考えていた。

仕事が終わらなければ当然残業、平日で終わらなかった仕事は土日にするのが普通だった恋をする前の私の働き方とは真逆だった。

思い返せば、あれは私の「働き方改革」だったのではないだろうか。今までの行動原理が一気に覆るなんて恋は超劇薬だな、と思う。

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私の「働き方改革」が進んだ要因は、あの恋を境に私が“プライベート”という概念を獲得したことにあると考えている。ここでいう“プライベート”とは、仕事以外の自由な時間を意味している。仕事終わりの時間は、明日も1日仕事を頑張るための休息の時間というだけではない。私の人生を楽しむための“プライベート”な時間でもある。

確かに仕事を頑張るのはとても良いことだ。しかし、「どれだけ偉大な仕事ができたか」や「仕事を通してどれだけ社会に貢献したか」だけが人生の良し悪しを決めるのではない。私の人生は仕事ではないのだ。プライベートを楽しむことが人生をより豊かにすることもきっとある。
今では、プライベートを楽しむという考えはすっかり定着した。休日には愛する夫と行きたいところがたくさんあるし、仕事以外で達成したい目標もある。“プライベート”という概念は私の仕事論や生き方そのものに大きく影響を与え続けている。

元彼には、面と向かって「あの時はありがとう、お陰で人生が豊かになりました」なんて口が裂けても言いたくないけれど、「あの恋」には感謝している。
元彼に貸したまま借りパクされた本は彼にあげたのだということにし、新しく買い直すことにした。