私の「母」に対する思いは、感謝と嫌悪が入り混じり、とても複雑だ。
お金の面で苦労したことはないし、殴られたこともない。赤ちゃんの頃に心臓の手術をした私は病弱で、専業主婦の母は月に何回も、病院に連れて行ってくれた。
父は平日帰りが遅く、土日も昼間からお酒を飲んで周囲に絡むような人だったから、家にいても私は避けていた。姉もいるが、社会人になるまでは仲は良くなかったため、家で話をする相手はいつも母だった。
衣食住足りて大学まで行かせてもらったから、感謝しているし、私にとって子供の頃の母は絶対的存在だった。

◎          ◎ 

他方、母のしつけは常に「恥」と「社会の常識」がベースだった。
太めだった私は「太っていてみっともない」とことあるごとに言われた。
小学校高学年になって、友達から胸について指摘されたため、スポーツブラを欲しいと言ったら、「まだ小学生なのになんで必要なの」と言われた。

一時の人間関係に悩み、学校に行きたくないと訴えたら「学校に通うのは社会の常識」とつっぱねられた。

優秀な姉とはいつも比較された。でも、その姉に対しても母は同じだった。
姉がいじめられているという話を、同じクラスのお母さんから聞けば、姉に話を聞かずに職員室に怒鳴り込んだ。姉がクラスで孤立を深める結果になっても、母はお構い無しだった。
母の考えが常に正しく、子供の意見や気持ちに寄り添うことはほぼなかった。

気持ちを理解してほしいと訴えれば、お母さんを悪者にして!と悲劇のヒロインのように振る舞った。
世間を振りかざして、母は子供にチクチク攻撃をし続けた。

◎          ◎ 

成長するにつれて、母に相談する、という選択肢は頭からなくなった。悩みや相談事は、否定されるだけでするだけ無駄だった。ポジティブな気持ちや、何かをやろうとする意思をへし折るのが母だった。へし折っておいて、何もできない、チャレンジしない娘だと嘆くのが母だった。

母とはおもしろいだけで中身のない上っ面な話ばかりするようになった。

仲良し母娘などはフィクションで、家では皆同じように否定されてるんだと思っていた。
自己肯定感はどん底まで落ち、正しいことができない自分には価値がないと思い続けてきた。
母の歪みに気づいたのは、大人になってからだった。
社会に出ていろいろな人に会い、母親はどちらかと言うと俗悪なタイプの人だとわかった。
それから母に対しては感謝も100、嫌悪も100だ。

◎          ◎ 

そして現在、私は2児の母親になった。
子供を育てていると、時々「母」が出てくる。育児本を読めば、記載されている理想の育て方に相反する「してはいけないしつけ」に母が重なる。
言うことを聞かない子供に、感情的になって言ってしまったセリフは昔の母の言動だ。
優しく子供に接していると、自分が受けてきたしつけを思い出してしまい胸がざわつく。
実際、孫に会いに母は月に数回家に来る。関係を絶とうと考えたこともあるが、共働きで母の手伝いなしでは生活が難しいのが実状だ。
母は相変わらず、「ちゃんとできないと恥ずかしい」や「他の子は文字を書けてるのに……」と小学一年生の孫に言っている。
私の「母」に対する感謝と嫌悪はまだ続いているのだ。

このような母から育てられた私が、慈愛あふれる母親になんて到底なれっこない。気持ちの通ったしつけなんてされたことがないから、仕方もわからない。子供に手をあげそうになることも毎日だ。けれど、「母」を反面教師にして、精一杯子供に寄り添い育てるつもりだ。