今、わたしは母と離れてオーストラリアで暮らしている。
母との関係性は、とても仲良しではなく、ほどほどだと思う。連絡を取り合うのも、1ヶ月に1度くらいだ。このエッセイを書くと決めて、今までのことを振り返ってみた。一番印象的な出来事がある。大学で一人暮らしを始めた20歳の頃、新しい土地、バイトに学校生活の中で、どうしようもなく悲しい夜を過ごしていた時があった。そんな折、突然母から着信があった。その第一声が「あんた大丈夫とね?何かあったっちゃないと?」。これを聞いて驚きと同時に、あぁ母親ってすごいなと感心した。素直になれず、何でもないフリをして他愛のない話をしたが、虫の知らせなのか度々驚かさせることが今でもある。
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一番古い母との思い出は、小学1年生の頃だ。両親はその頃には共働きで、帰宅しても家には誰もいなかった。ただ、一冊のノートだけが置いてあった。そこには、母の綺麗な字で、ちょっとした連絡事項などが書いてあり、わたしはそれを読むのがとても好きだった。また、しつけには厳しい母で、友達の家に遊びに行く時には、いつも口酸っぱく「靴を揃えること、お邪魔しますということ、そして一番はものをもらわないこと」と言われていた。
これは、今のわたしの性格に良くも悪くも影響を与えているのだが。
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わたしと母は、仕事の考え方が似ている。しかし、母の方が先を読むことや人とのコミュニケーションに長けている。わたしが仕事で悩んだ時は、時に厳しいことを言いながらも社会の先輩として、痛いところをつくくらい的確なアドバイスをくれる。こんな人になりたいと素直に思う。介護福祉士として働いている母は、30歳を過ぎてこの仕事に挑戦し、今ではスペシャリストになった。わたしも負けずに誇れるものをこれから見つけたい。
だからこそ、一緒に住んでいる時は特に、母と衝突することも多い。喧嘩が始まると、どっちも折れずにひたすら我慢大会になる。その間に挟まれる父は毎回可哀想だけれど。
結果、わたしと母は離れていた方がお互いに優しくなれるし、労わりあうことができている。
たまになら、まぁいいかと許せるようになった。わたしが実家に帰省すると、母は決まって、いつもわたしの大好物のちゃんぽんや鯖の茶漬を用意してくれる。お酒を呑みながら食卓を囲むこと、ここに母の愛情を感じる。離れて暮らす寂しさもあるのかなと思いながら。
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こんな風に思うようになったのは、ここ最近の話だ。
年々歳を重ねるにつれて、ふと後何回一緒に過ごすことができるのだろうと考える。今わたしは35歳、そして母は63歳。わたしはまだ結婚しておらず、残念ながらする予定も当面ない。しかし、20代後半からできるだけ母親孝行をと思い、年に1度くらいは2人で少し豪華な旅館に1泊2日で旅行に行っている。わたしはこの旅行が気に入っている。気ままに女2人で美味しいものを食べる。特に、夜明け前のまだ暗い時間に露天風呂に行き、2人で貸切で朝日を見ながら、これからの話やくだらない話をしたりするのが、たまらなく愛しい時間だ。
かなり自由な母だが、それでも愛情を持って育ててくれて、わたしの意思を尊重してくれることに本当に感謝している。お母さんありがとう、そして大好きです。