また、動いた。
深夜3時。私の意思とは関係なく、私のお腹はうにょうにょと動いている。
眠れずにインスタグラムを開くと、おススメ欄に出産を控えた女性たちの投稿がずらりと並んでいる。どれも「はやく出てきてね」とか「待ってるよ」とか、幸せないっぱいのテキストばかりで、思わず涙がこぼれる。

「ごめん」

お腹に手をあてて、小さくつぶやいた。私もこの妊婦たちと同じように「待ってるよ」と優しく声をかければよかった。でも、どうしたって不安な気持ちがまさってしまう。子どもが生まれてくるのはうれしい。でも、自分が母親になることがたまらなく怖いのだ。

◎          ◎ 

「妊娠してますね」

病院でそう告げられた時、私は真っ先に自分のことばかり考えていた。
仕事はどうしよう。お酒とコーヒーが飲めなくなる。え、生卵もダメなの!? 刺身も!?「食べ過ぎなければ大丈夫」ってどのくらい!?

ネットの情報を見ながら、大好きなお酒や食べ物が楽しめなくなることに嘆いていた。でも、そんな元気があったのは、ほんの少しの間だった。すぐに猛烈な吐き気に襲われた。

「ごめん、体調悪くて。スポーツドリンクとか買ってきてくれない?」

ぐったりした私を見た夫は、慌ててスポーツドリンクを買ってきた。
でも、私は怒った。

「え、これだけ? ふつうはフルーツとかゼリーとか買ってきてくれるんじゃないの?」
「えっ?スポーツドリンクって言ったじゃん」と動揺する夫に、私はつづけて「スポーツドリンク『とか』って伝えたよね?」と言った。夫は「えぇ……」と困った様子で私を見つめている。

自分がどうしてこんな理不尽なことで怒っているのか、分からなかった。分からないけれど、勝手に涙があふれてくる。こんなこと、今まで一度もなかったのに。

「ごめん」

夫が寝た後、心の中でつぶやいた。

◎          ◎ 

今日まで生きてきて、私は自分がめんどうな人間だということは痛いほど分かっていた。母性が欠落している。ワガママで感情の浮き沈みが激しく、自分の面倒すら見ることのできない私が子どもの面倒をみれるはずがない。世の中の母親はみんな『ちゃんとした母親』だ。私は『ちゃんとした母親』になれない。望んで子どもを授かったはずなのに、そんな思いが日に日に強くなっていった。

「ちゃんとした母親になれるか不安だ」

子育てをしている友人に相談した時、彼女は「私もちゃんとした母親か分からないよ」と言った。「えー、ちゃんとしてるじゃん」と言う私を見て、友人は小さく笑う。

「だって、ほうっておいたら死んじゃうんだよ。泣いたらミルクをやらなきゃいけない。おむつをかえなきゃいけない。『ちゃんとした母親』になるとかどうとか、生まれたら、考える暇もないの」

◎          ◎ 

そして、その日は突然やってきた。
予定日を4日過ぎた早朝3時過ぎ、私は実家の布団のなかで、波のように押し寄せてくる痛みに耐えていた。「もう無理、死にそう」と騒ぎ立てる私を担ぐようにして、母は病院の入り口へと急いだ。

不安で、痛くて、涙がこぼれた。妊娠してからの私は、泣いてばかりいる。「もう嫌」と泣き叫ぶ私を「嫌って言っちゃダメ」と助産師は叱った。だけど数分後、私はまた「もう嫌」と口にした。痛い、もう嫌、やっぱり私、「ちゃんとした母親」になれない……。もうろうとする意識の中、そんなことばかり考えていた。

◎          ◎ 

それから15時間、私は泣き続けた。そして、体力が限界に達しようとした時、助産師の「せーのっ!」という声にあわせ、全身に力を入れた。壮絶な痛みが全身をつらぬき、小さな泣き声と「おめでとうございます!」の声が聞こえた。とたんに力が抜け、涙が止まった。

次の日の朝、透明なベビーベッドに入れられてやってきたわが子は、ずっと泣いていた。私は鉛のような体を起こし、おむつを変え、ミルクをあげた。なにが正解か、分からなかった。だけど、泣き止んだわが子を抱き上げ、安堵の息を漏らした時、友人の言葉がどこからか聞こえた気がした。

「だって、ほうっておいたら死んじゃうんだよ。泣いたらミルクをやらなきゃいけない。おむつをかえなきゃいけない。『ちゃんとした母親』になるとかどうとか、生まれたら、考える暇もないの」

出産して1か月がたった。

私は今、「ちゃんとした母親」を考える暇もなく、母親をやっている。