母親を辞書で調べてみると、こう書かれている。
「母である親。女親」Weblio辞書より
私の母親は、いわゆる世間一般でいう母親とは違うと思う。
家に帰ると、おかえりと言ってくれて夕食を準備してくれている。
洗濯や家事もこなし、子供達の面倒をみてくれる。
私が個人的にパッと思い浮かべる母親像は、こんなイメージである。
◎ ◎
一方、私の母親はどうだろうか。
家に帰っても、母親に会う機会はほとんどない。
仕事に明け暮れて、家に珍しくいるときは、眠っているか、疲れ果てて横になっていることが多かった。
母親は、私が中学生になるまで、夕食を準備したり、掃除したり、洗濯をすることは、ほぼなかった。
働く母には、時間の余裕がとにかくなかったように思う。
仕事のストレスからか、肌は荒れ、蕁麻疹が出て、痛々しい状態だった。
夜遅く帰ってきて、叔母に仕事の愚痴を泣きそうになりながら、話している姿は子供ながらに心配であった。
休日も、私から遊んでと言える状況ではなかった。
母親は、心も体もボロボロだった。
話は変わるが、小学6年生の時、印象深い授業があった。
外国人と交流する授業で、私はトルコ人の留学生に、「あなたのおふくろの味は何ですか」と問われた。しかしながら、私は、母親の手料理を食べたことがなかったので、答えることができず、黙り込んでしまった。
母親が食事を作ることが当たり前みたいに言われたことは、なんとも言い表せない不思議な気持ちになった。
それは、どのような感情だったか言葉にするとすれば、戸惑いや疑問、そして違和感が混ざったような気持ちだったと思う。
母親に作ってもらったものを頭をフル回転させて、思い出そうとした。
振り絞って出した答えは、あさげの味噌汁だった。
ひそひそと嘘でしょというクラスメイトの声が聞こえてきた。
◎ ◎
クラスメイトと先生、そして、トルコ人留学生は、おふくろの味を、即席みそ汁と答えた私をどう思っただろうか。
考えるだけで、寒気がする。
というわけで、以上のエピソードからもわかる通り、私の母親は、仕事に打ち込むキャリアウーマンだった。
幼少期、私は母親に遊んでもらえず、寂しい思いをしたのは事実である。
だが、今思うことは、母親が仕事を続けてくれて本当によかったということだ。
現在、母と私の2人暮らしなのだが、母親は今が一番楽しいと話してくれる。
母親は努力して、仕事の経験も積み、仕事上の立場も当時と変わった。
私は、母を見ると、頑張れば報われるんだなと思う。
母親は、自分で稼いだお金だから、自由にお金を使っているように見える。
なによりもキラキラしていて、出かける日も多くなったし、見るからに楽しそうで、悠々自適な生活をしている。
そんな母親を私は誇らしく感じる。
◎ ◎
母親の親友が、56歳で亡くなったりもして、深く悲しんでいたときもあったが、そもそも母親は1人行動が得意である。
そして、フットワークが軽いので、行きたいと思った場所には、躊躇なく行く。
これは、仕事で多くの出張経験を積んだ母親ならではの能力だと私は考えている。
本やテレビのお悩み相談で、「友達ができない」とか「1人で旅行に行く勇気が出ない」という悩みをよく目にするが、私の母親はそういった悩みとは無縁だと思う。
クラシックコンサートには週3で行くほど大好きだし、洋服は我慢せずに買う。
我が母ながら、羨ましいと言わざる得ない生活を送っている。
私は、母親が羨ましい。
母親のような生活を送りたい。
だから、私も仕事を頑張ろう。
そう思うのであった。
◎ ◎
当時、私の母親のようなバリバリのキャリアウーマンは少なくて、周りに好奇な目でみられたこともあり、高校生頃までは、専業主婦になってほしいと思っていた。
けれど、今は専業主婦になってほしいとは言わない。
昔、専業主婦になってほしいと言ってしまったことは、全部撤回したい。
働き続けてくれてありがとうと伝えたい。
ここまで、努力して働き続けてきた母親を尊敬する。
私にどんな仕事であれ、働き続ければ、幸せな未来が待っていると思わせてくれる母親に、私は感謝しかない。
ありがとう。お母さん。