魂の伴侶。配偶者や長い人生を共に過ごすパートナーという意味で使われることが多いこの言葉だが、もし私に魂の伴侶がいるのだとしたら、それは「母」のように思う。
悩み事や愚痴を聞いてくれるときは友達のようだったり、ふざけたりお互いに冗談を言っているときはお笑いコンビの相方のようだったり、人生における大事なタイミングでは良きアドバイザーになってくれる。それが私にとっての母だ。

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一番古い母との記憶は、私がまだ保育園に上がる前、母が専業主婦だったときのことだ。お昼過ぎに部屋の掃除機をかけ終わると、母はいつもわたしにこう声をかける。

「みーちゃん。きょうはどっちにいく?」

私たちが住む家の近くには大きなスーパーマーケットが2つあって、これが夕飯の買い出しに行く前の決まり文句だった。
どっちにしようかと2人で相談をして決めて、出発する前のあのワクワク感がたまらなく好きだった。今でも母はスーパーに行く前「今から買い物行くけどどうする?」と聞いてくる。しょうがないなあと言いつつも、まんざらでもない顔をして着いていってしまうのは、この記憶があるからだろう。

でも毎日一緒に過ごす親子だからこそ、穏やかな日々だけではなく、お互いに衝突することももちろんあった。特に小中学生の頃は友達関係のトラブルでたくさんの心配や迷惑をかけてしまった。その当時は母とぶつかることも多く、一緒に悩んで解決策を考えてくれていたはずの母に対して、何もわからないくせにと溜まっていたフラストレーションを考えなしにぶつけてしまい後になって後悔することもしばしばだった。何かを注意されたときには素直に認められず屁理屈で言い返してしまい、その結果喧嘩になってしまうことも多々あった。
でもいくら言い合いになっても、私のことが嫌いで言っているわけではないとわかっていたのは、記憶に残る母の姿がいつだって私の方を向いていたから。

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家に帰れば必ず「おかえり」と言ってくれる母が、私に居場所があることを教えてくれていたし、そんな母は自分の時間と労力を惜しまず私に注いでくれた。
買ったばかりの服の襟が立ってしまい首にあたって痛いと言えば、裁縫が得意な母がその襟を服に縫い付けて、首に直接触れないようにしてくれたし、夕飯に出てくるおかずには必ずと言っていいほど、母が丹精して育てた野菜を使った手料理が並んでいた。他にも、ここには書ききれないほど母にしてもらったことがたくさんある。母はいつだって言葉と行動で私に愛を与えてくれていた。

こうしてエッセイを書いていると台所が賑やかになったのがわかった。
水道から水が流れる音、包丁がまな板とぶつかる音、鍋の蓋を閉じる音たちが、2階にある私の部屋まで聞こえてきた。夕飯の支度が進む中、一旦キリをつけてリビングに戻ると、夕飯前にランニングに行くという母が「もし終わらないならまだやってていいよ。1人でご飯食べるの寂しいでしょ」とウィンドブレーカーを羽織りながら声をかけてくれた。
私の好きな母が今日もそこにいた。

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私は今年で27歳。気がつけば、母が私を産んだときと同じ年齢になった。私を妊娠したことがわかったとき母はどういう気持ちだったのだろう。私の周りにも子供を産んで育てている人がもう何人かいるが、親と子の数だけ悩みや喜びがあるのだと思うと、それは本当に素晴らしくて尊いことだなと感じる。

今はまだどうするか決めかねているけれど、もし私にも母親になる未来があるのだとしたら、そのときはたくさんの言葉と行動で、安心感と愛情を与えてあげたいと思う。私がそうしてもらったのと同じように。
私はこれからも魂のパートナーとして、母への恩返しをしながら、一緒に人生を楽しんでいきたいと思う。