学校から帰ると家には誰もいない。私はテーブルの上のアルミホイルに包まれた握り飯にかぶりつき宿題をしながらテレビを見る。

母の作る握り飯は三角でも俵でもなくソフトボールと同じくらいデカくて丸い。グラグラ煮えているガス釜に手をつっこみご飯を掬う。握り飯の真ん中にくぼみを作って真ん中に具を詰め込んでアルミホイルで包む。

かまどの火も素手でつかむ、それが母の自慢だ。

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日中のほとんどの時間を畑で過ごし手元が見えなくなると家に帰ってご飯支度をする。1日の大半は農作業、夕食を終えると漬物や干物を作る。母の顔は日に焼けて一年中真っ黒。そんな母がごくたまに参観日に来てくれることがあった。

教室の後ろを見ると真っ黒な顔をした母は化粧もしない顔で私を見て笑った。その日の夕方「先生の話をよう聞いちょって偉かったな」と褒めてくれる母に向かって私は「お母ちゃんは汚い。みんなから笑われて恥ずかしい」と言った。それ以降、母は参観日に来なくなった。

大人になって家を出た私は、結婚後、夫の仕事の関係で地方都市に住んだ。憧れの都会の生活。私は出雲弁を使わなくなった。月に一度実家に帰省すると母は嬉しそうに出迎えてくれる。着古したエプロン、膝の穴に継ぎを当てたズボンを着ている姿は貧乏くさい田舎のおばあさんだ。

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長年着続けて生地が薄くなり破れると他のボロ布を当てて補強する。物を大切にするといえば聞こえはいいが、ただ貧乏くさいだけだ。パンツにまで継ぎ当てをしているのを見た時には笑った。継ぎを当てた部分が厚くなり寒い冬は乾きにくく湿っている。

部屋にストーブをつけてロープを張りハンガーにかけられたパンツが何枚もぶら下げてある様子は、まるで近代アートのようだ。そんな母が新しいエプロンや衣服を着る時がある。私の住んでいた地域では葬式や法要、地域のお祭は集落の公民館で行っていた。

その時に食事を準備するのはそこに住む主婦たちの仕事だ。母はその場所で食事のメニューをきめ、他の主婦たちに指示をする。その姿がかっこよくて私は用事もないのに公民館でうろちょろしていた。

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結婚して実家を出てから、毎月母は新鮮な魚や採れたての野菜を送ってくれる。腰は曲がり両膝は変形して80歳になった今でも畑を耕し肥料をやって土を作る。そして種をまき季節にあった野菜を作る。葉物は虫に食われ、土のついたまま、お店で売っている綺麗な野菜とは違う。

でも箱を開けた瞬間の土と実家の匂いが、あの日のことを毎回思い出させる。あの時、参観日に来てくれた母を友達の誰も笑ってはいない。私が母を恥ずかしいと感じていたのだ。化粧をして綺麗な服を着て方言を使わないで話す私は、母より何か勝るところがあるのだろうか。地に足をつけ季節と共に生きる。80歳を過ぎた今でも畑で土を耕し野菜を収穫する。

自慢のゴツゴツの茶色い大きな手は、私が子どもだった頃に比べると白くて薄くなった。今年の母の日にはあの時のことを謝ろう。