2023年12月。クリスマスに浮き足立つ街中とは反対に、私は毎日のように泣いていた。それほど仕事が辛かった。

ひどく気分が落ち込み、薬でも何でもいいから私を助けてくれと思った。近所の心療内科に駆け込むと「適応障害」と診断され、あれよあれよという間に年内に休職が決まった。

今になって休職期間中を振り返ると、その時最も心の支えとなったのが意外にも父だった。 

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「せっかく時間あるんやし、旅行でも行く?」そう声をかけてくれたのが父だった。
父は大の旅行好きで、お気に入りの北海道と九州を案内してくれると言うので、やることもない私は父と二人で北海道と九州に旅行に行くことにした。

元々、父とは特別仲が良いわけではない。
どちらかといえば母との方が仲は良いし、何か相談事をするなら母だった。
父は家事・育児にあまり参加する人ではなく、学校行事に来たこともなければ、勉強や進路のことについて相談したこともないし、何か言ってくることもなかった。 

これまで深い話を父としたことがなかったから、一体父はどういう人で、何を考えている人なのか正直、よくわからなかった。

しかし、この旅行で父のことを知ることができた。そして父の言葉が私の心を軽くしてくれたのだ。

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旅行中に父がこんな話をしてくれた。 

「ばあちゃんが『麦ちゃんはみんなに優しくて良い子やね』って言ってたんや。でも俺は『麦が兄弟の中で一番しんどい生き方をしてるねんで』ってばあちゃんに話したんや。お前は誰からも好かれようと、誰の前でも良い子でおるやろ。それってすごいしんどいことやと思うねん」

ハッとした。

自分で理解できていない自分のことを、父が教えてくれた瞬間だった。
みんなに好かれたい、嫌われたくない、がっかりさせたくない、そんな思いが強すぎるあまり、必要以上に無理をしてしまう。また、相手が望む結果を出せなかった時に、自分が自分を一番責めてしまう。そんなことの繰り返しで自分がすり減ってしまった結果、適応障害という形になってしまったのだと、その時初めて気がついた。 

他にも父は自身のことについて話してくれた。
仕事で心を病み二年ほど無職だった期間があること、その後も医者が驚くほどたくさんの精神安定剤を服用していたという話だった。 

「ゲロ吐きそうなくらい仕事がしんどかった時に心筋梗塞で倒れて死にかけた。その時から好きなことして生きなアカンと思ったんや。だから行きたいところには行くし、食べたい物は食べるねん。せやし、病んでまでする仕事なんかない。しんどいなら辞めたら良い」

父はそう言って笑っていた。 

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父はこれまで三度心臓の手術をしている。もう三分の一しか心臓が動いていない。 

医者には体重を減らすように言われているが、好きな物をお腹いっぱい食べる。寒暖差は心臓に良くないが、心臓がギュっとなりながらも好きだから温泉に入る。 

自分の健康を顧みずに好きなことをする父は、世間一般でいう良い父親ではないのかもしれない。でも、私はむしろそんな父を好きだと思ってしまう。好きなことを我慢して長生きするよりも、めいいっぱい好きなことをして人生を終えて欲しいと思ってしまう。

よくわからないな、と思っていた父は私の身近な良き理解者で、人生の師匠のような存在だった。そして、文字通り命をかけて自分の好きなことを貫いて生きる父に、ある種の尊敬の念を抱いている。 

私ももっと自分に正直に、自分を大切に生きようと思えるようになった。そう思うと心が軽くなって、前を向けるようになった。おかげさまで現在は復職している。
せっかく父の娘に産まれたのだから、「好きなことをめいいっぱい楽しんで生きてやる!」と今は強く思う。