私が子供の頃のクリスマスは、家族や友達とパーティーをしたり、プレゼントを交換したりなどということが当たり前のように行われていた時代ではなかった。

私が5歳だった年のクリスマスイブ。

私はテレビか何かで、クリスマスイブの夜に靴下をぶら下げておくとサンタクロースというおじいさんがプレゼントを入れておいてくれるという情報をつかんだ。

私はその日の夜、自分の布団のそばにあるタンスの引き出しを少し前に出し、そこに靴下をこっそり引っ掛けてみた。翌朝起きてみると、靴下の中にプレゼントが入っているどころか、母に靴下をちゃんとタンスの引き出しにしまうように怒られたのだった。

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そのころ私の父は、自営で鉄工所を営んでいた。私が物心ついた頃から、父の仕事はそこそこ順調にいっていて、何人かの従業員を抱え、夜遅くまで1階の工場で父はよく仕事をしていた。

サンタさんの靴下の件でうまくいかなかった私は晩御飯を食べたあと、1階の工場で仕事をしている父のもとに急いで駆け寄った。
その晩、外はまるで冷凍庫の中のような冷たい空気が町中を包んでいて、今にも雪が降り出しそうだった。

「今日、もしサンタクロースに会うことがあったら、ほしいものがあるねん」と私。
「へぇ、何?」と父。

5歳の私は絵を描くのが大好きで、いつも描いている薄い紙のらくがき帳ではなく、ちょっと大人びた表紙に、例えばアルファベットがデザインされたようなスケッチブックと、色々な色の芯が一本の中に入ったボールペンが欲しかった。

まだまだ小さな子供なのに、大人っぽいものに憧れていた私。
私はそれらの物の説明を身振り手振りで一生懸命父に伝えた。父はにこにこ笑って私の話を聞いていた。

「わかった。もしサンタさんに会えたら言っとくわ」と父は言った。
私はドキドキしながら、居間に戻った。

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外はちらちらと降り出した雪が本格的に勢いを増し、大きな雪の欠片がしんしんと落ちてくるのを私は窓から眺めていた。

しばらくすると、少し息を切らせた父が居間にやってきた。
「サンタさんに会ったよ。これを渡しておいて、と言われたわ」そう言う父の髪の毛や作業服の肩には、雪がたくさんのっていた。

父が私に渡してくれたものは、近くの文房具店の包装紙に包まれていた。
「サンタさんは、あの近くの文房具屋さんで買ってきてくれたのかな?」
少し不思議に思いつつ、私が包装紙を開けると、中には12色のラッションペンと瞳の中にキラキラした星がたくさん入った女の子の絵が表紙に描かれた幼児用のお絵かき帳があった。

「思ってたやつ、サンタさんは持ってきてくれたか?」
にこにこ笑いながらそう言う父に、私は心の中で「違う」と思いながらも、絶対にそんなことを言ってはいけないと思い、「そうそう、これや。これが欲しかってん」と喜んで言った。

「そうか、良かったな」と言いながら、父はとても嬉しそうだった。

私は、父が雪の中、閉店間際の文房具店に走って駆け込み、これらを買ってきてくれたのだと子供ながらに理解した。

そして私は、父や母の前でそのラッションペンを取り出し、キラキラした瞳の女の子が表紙のお絵かき帳の1ページ目に得意気に絵を描いてみせた。
父はそんな私をずっとにこにこしながら見つめていた。

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それから年月が経ち、学生時代には、私は何だか父と話すのが嫌になった。いわゆる反抗期というもので「うん」とか「すん」しか返事をしない時期がやってきた。

私は会社勤めをするようになると、父とは仕事の話などを少しするようになった。ある日、私が会社での出来事を父に話すと、父はにこにこ笑顔でポケットから財布を出し、
「はい、お小遣い」と言ってお札を1枚渡してくれた。私と他愛ない話をすることができて、父は嬉しかったのかなと後になって思う。

その後私は結婚し、29歳になって長男を出産をした。息子が生まれて初めてのお正月、父と母は隣の県に住む私たちの家まで車で来てくれた。父が私の息子をにこにこした笑顔で抱っこしている写真が今でもある。

昨年夏、父は持病の悪化で自宅療養の末、81歳で亡くなった。私は父の血液の病気が発覚してから、いつも父の通院に付き添った。

「もう死ぬんやろか?」

そんな父の不安な言葉をその頃からよく聞くようになった。それでも、治療をしながら父は好きな物を食べたり、笑ったりして4年間を過ごした。
ある日、持病が悪化していることがわかり亡くなるまでの約半年、私は毎日実家に通い父の介護を手伝った。私が朝に実家に着くと、「ありがとう」と毎日言った父。
認知症も少し進んできてはいたが、私や私の息子のことはいつもわかっていた。私が帰る時も「ありがとう」と父は笑顔で言った。

最後の半年間、私は本当に父とたくさん話をした。

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父が亡くなってからしばらくの間、私は父に会いたくて仕方なかった。若くて元気だった頃の父も何度も頭の中に浮かび、会いたいとか、あの頃に少しの時間でいいから戻りたいと思った。

そして、あのクリスマスの日の父の姿、笑顔も何度も思い出された。
もうすぐ父が亡くなって1年になろうとしている。 
今でも一度でいいから父に会って話したいと思う。
そして今私は父のように、いつもにこにこ笑って「ありがとう」という感謝の気持ちを忘れずに生きていこうと思っている。

いつか父にまた会える日がきたら、私は父にこう言おう。
「お父さん、あの日サンタクロースになってくれてありがとうね」と。