今日もアイツが微笑みかける。私はそれを睨み返す。余計なお世話だよと思いながら。

「好きなことで生きていく」この言葉が流行り始めて早幾年。

街ではいたるところで、眩しい笑顔で微笑みかけるクリエイターの広告を見るようになった。自分の好きなことを貫くのがステータスになっている昨今。ならぬものはならぬと言われた時代から、自分の好きなことを突き詰める時代へ。全く自由になったものだ。

私はそんな生き方を侮蔑しながら、でも少し羨ましいと思っていた。好きでもない仕事に就き、毎日疲れた表情で電車に揺られ、一日を終える。

いつかは何者になりたいと思いながら、何をしたらいいのかわからない。仕事を変えたいと思いながら、やりたいことがわからない。いろんなものに手を出して、浅い知識の資格ばかりが増えるけれど、いまいちピンとくるものに出会わない。こうして時は過ぎてゆく。

このままつまらない人生で終わるのかと、夜寝る前、言いようのない不安で苦しくなる時がある。しかし同時に、皆こんなもんだとも思う。メディアばかりが目立つけれど、この世は好きなことを仕事にできる人ばかりじゃない。仕事を辞めたいと言いながら続けている。そんなもんだ。

そう言い聞かせて、無理やり目を閉じて、頭から布団を被って眠りに入る。

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そのまま数年が経ち、私は夫の転勤について海外に引っ越した。これまで自分の名前で呼ばれていたのに、急に「〇〇さんの奥さん」と呼ばれる。駐在の主婦と知った途端、見下すような態度に変わる人。公共の場で夫には挨拶をするのに、私には目もくれない。マウントのような嫌味を言われることもあった。

私には大した趣味も特技も無かった。見下されても言い返せなかった。

この悔しさをバネにしたい。そう思って始めたのは英語の勉強だった。毎日脇目もふらずに勉強し、以前の仕事で英語を使っていたこともあって、現地の大学院に願書を出せるまでになった。勢いで受験をし、運良く合格すると、これまで私を見下してきた人々の態度が変わった。

やはり馬鹿にされないためにはステータスが必要なのか、と思いつつ、それってなんか嫌だなと思う。自分は人のステータスに惑わされず、相手を尊重できるようになりたいと思った。

しかし入学してからつまづいた。授業や試験を頑張ることはできたのだが、肝心の修士論文が書けない。早朝から深夜まで勉強に励み、かつ修論も進めるクラスの中で、私は筆が止まる。授業以上に知りたいこと、自ら論文を読み漁ってまで書き上げたいテーマが思い浮かばないのだ

何事も、突き詰めるにはエネルギーが要る。そしてそれは、多少の好きが無いと続かないと痛感した

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それから数年、私は二児の母になった。日本に帰国して仕事にも復職した。

復職時には新人と肩を並べて、新しいソフトの使い方を覚える物覚えの悪さに辟易する。今の仕事には院留学で得たことは活かせない。在籍年数だけが増えてゆく。先日、ついにキツく叱られてしまった。自分の至らなさに申し訳なくなると同時に、私の居場所ではないと悟る。
好きでもない仕事、居づらい職場。自分のためにも職場のためにも退職したほうが良いと思っている。

しかし、幼子人を抱えて、仕事が見つかるかわからない。皆これくらい耐えているのでは?私は甘えているのでは?とも思う。

日中は忙しいから深夜に考えるのが癖になる。眠れない間に、どんどんネガティブな思考に侵されていく。自分は愛する家族に恵まれ、仕事もある。私は確かに幸せだ。それなのに、ネガティブの沼からぬうっと顔を出して、幸せな自分の生活をただ見ているような感覚になる。

変わりたい。だけど、どう変えたらいいのか分からない。やりたいことを知りたい。まずは自分について知ってみたい、と、就活の時期におざなりにしていた自己分析を始めることにした。
本やネットを参考に、繰り返し自己分析をするうちに、だんだん、自分の嗜好がクリアになってきた。しかし、好き嫌い・得意不得意がわかっても、すぐにそれに合う仕事を見つけられるわけではない。深夜に延々と、答えの出ない問を考え続けるのはキツイ。

気分転換に読書でもしようと、本を開いた。

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本を読んでいる間は、他の世界に没頭できる。ああ、この感じ。子育てで忙しく、しばらく読書から離れていたが、私は読書が好きだったのを思い出した。

スパルタだった子供時代。娯楽も制限され、本だけが私を違う世界に連れ出してくれた。本好きが高じて、厳しい塾で国語だけは高得点を取れた。書いた作文が先生に褒められて、嬉しくて嬉しくて大切に取っておいたのを思い出す。

そこから文章を書くのも好きになった。友達への手紙も、学校の日直日誌も、書くものは何でも時間を忘れて書いていた。当時のみずみずしい気持ちが蘇る。

また文章を書きたい。できることなら、現実世界で苦しむ人々を違う世界へ連れ出せるような、そんな心動かされる物語を書きたい。そう思った。

小説家なら、転勤族の夫との生活も、子育ても、自分の好きも両立できる。

期待に胸が高鳴ったが、すぐに、「私が小説家だなんて夢物語すぎる」と苦笑した。しかし何かを諦めることにも、もう疲れていた。無理だと思うなら、まずは勉強すればいい。これまで好きでもないことに費やしてきたエネルギーを、今度は執筆の勉強に費やそう。それくらいなら、私にだってできるはず。そう思って、小説の書き方の本を買った。

「好きなことで生きていく」今日も誰かが微笑みかける。今の私はそれに微笑み返す。

しかしながらその口元は、少し震える時がある。それは時に、絶対に成功させてやるという武者震いであり、時に、寂しさである。本当は、好きなことをやらなくても、仕事やステータスが無くても、自分が自分でいられたら。けれど、私はそれほど強くないから。

散々遠回りして、やっと、新たな道の一歩を踏み出した。