「学び」の世界はとても広い。

学生時代の授業や宿題はもちろん学び。
大人になってから資格取得を目指すのも学び。
外国語を習得するのも学び。
毎日ニュースを見るのも学び。

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インスタできらきらしているインフルエンサーは大体、生活に学びを取り入れているように思う。

それを見ると、そんなことしている余裕ないなと思い、「意識高い人は今ごろ有意義な時間を過ごしてるんだろうな~」などと勝手に罪悪感を抱きながらゴロゴロとYouTubeをみる。
自分はそのきらきらを手に入れることはできないような気分になる。

でもね私は「学び」をもっと広くとらえてもいいと思う。

効率よく痩せることを考えるのも学び。
憧れの人のメイクを真似するのも学び。
おいしいお店を探すのも学び。
節約を考えるのも学び。
こう思うと生活は学びにあふれている。

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いわゆる「勉強」が苦手です、という人を私はたくさん知っている。
その人たちが「頭が良くない」というわけでは決してない。
(そもそも「頭が良い」という日本語はなんなんだ)

それでもやはり、学生時代に勉強があまりできなかった人たちはコンプレックスを持ち続け、どこかで「自分は勉強ができない」と己を卑下する。

自分自身に貼ったレッテルは結構強力で、大人になって新しいことを始めようとすると「おまえは昔学校の勉強に全然ついていけなかったじゃないか」と足を引っ張ってくるものだ。

私はそんな、「学び」を諦めた人、諦めそうな人に伝えたい。
あなたのその生活、すでに学びにあふれていますよ、きっと。

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と、前置きが長くなったが、私自身の学びはというと、最近はもっぱら「いかに罪悪感なく食べたいものを食べるか」というテーマを掲げている。

元来食べることが大好きで、食への探求心は留まることを知らない。
「食べる」にまつわることは全て好きなので例えばカレーにハマれば色々なお店を食べ歩いて比較、おいしいカレーに共通する特徴を分析し、自分でも再現できないか?と調理の検討へ向かう。

食材も本当においしいものを使いたいし(とはいえすべて無添加オーガニックというわけにもいかず)、見た目も大切なので器も素敵な物を使いたい。
これもう、「私、カレーについて研究しています」と言えますよね。

スイーツも大好き。パンも好き。揚げ物だって好きだし、たまにパスタがものすごく食べたくなる。

しかし残念なことに、私のお腹とお肌はおそらく平均をはるかに上回る弱さを誇り、上記の食べ物を食べるととたんにお腹は壊すわ、顔面にニキビができるわ、体は重くなるわでせっかくおいしい時間はその後のコンディションによって悲しい結末となる。

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悲しいので、それでもやっぱりおいしい時間を過ごしたいので、インスタに無数にある「体にやさしいおやつ」「砂糖不使用!米粉パン」「揚げないコロッケ」etc……
先人たちの投稿を参考に、日々学びに勤しんでいるのだ。

私はこれも立派な学びではないかと言いたいのです。
新しいものを取り入れて、自分の生きる時間が少しでも充実する。
『学び』とはそういうことなのではないだろうか。

推し活だって、ダイエットだって、新作スイーツのリサーチだって。
意識はどれだけ低くてもいいのだ。